ただ、この鉱石(フローライト)のように‥
この危うい世界の「化けの皮」が剥がされつつある今日この頃、思うことは一つ…。美しい鉱石のごとく、ただそこにあって魅せられ、心癒されるような存在となりたい。何を意図せずとも、周囲の人々に笑顔と安心、そして温かな想いを自然と抱かせるような存在となりたい。
ひとの世(現世)は、これまで長きに渡って和多志の信じていた世の中とは余りにもかけ離れすぎていてただひたすらに戸惑うばかりである。「自らの身体(肉体)を権力者に差し出さないと淘汰される生業」の存在。しかもまだ「性への目覚め」も起こっていないような年代の子どもたちへの成人たちからの虐待。
何よりも、そうした実態を周囲で見て見ぬ振りを続けてきた人々の多さに恐怖を覚えると同時に「一成人として」愕然とする。そんな世界が公然と半世紀以上も存在し続けてきたのである。それが暴かれた今でさえ、当の罪深き者たちは姑息にも逃げ続け、表向きには嘘や詭弁で塗り固めたような自己弁護を展開する。
和多志の神がようやく和多志に見せたこの現象世界は、「幼稚」で「おぞましく」率直に言って倫理道義的にも全く「理解不能な人々」で覆い尽くされているということだった。しかも「この世を統治しうる権力者たち」の大半が‥である。2020年春に和多志の深部で始まった「枠組みの崩壊=覚醒」から3年半が経つ。
和多志は今や物言わぬ「鉱石」に永遠の美を見出す。純粋な瞳で和多志を見つめる「小動物」に言葉にできない高貴な愛を感じる。誰にも何にも忖度しない裏庭の「木々」のゆらめきに「紅葉の気配」に普遍の真理を思いだす。和多志はもう外界のざわめきに心乱されたくはないし要らぬ幻滅も懲り懲りだ。
和多志はただ「今に生き」、崇高な自然に「学び」、やがて自らの魂が求める「癒しの存在」へと最大限近づけるように‥今日も静かに呼吸している。
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