罪人に罪を犯したか…と問うが如し
某県知事の話題で持ちきりの昨今である。どの側面から観るも愚かすぎて話にならない。泥棒と思しき人物に対し「盗みをしたか?」と尋ねるが如き質疑に終始し、その当該者が「自分には何も罪に問われる謂れはありません」と平然と受け応えする動画流布がここ1〜2週間続いている。この世のお天道様はどうお思いなのか、直接お声が聞けるならどうぞお聴かせいただきたいと思うほどである。
なぜ県民が一斉リコールしないのか、なぜ県庁職員らがこれ以上現知事や関係幹部職員と協働できぬとNoを突きつけないのか…ただ素朴に不思議でならないと同時に、どれほど多くの人間が権力にひれ伏し追従し、それによって権力者の力を増大させ続け、倫理的に真っ当な人々をこれまで容易く亡き者へとしてきたことか…今更ながら「民主主義、多数決主義の絶望的な闇」を感じてならない。
和多志たちは、皆自由である。和多志たちは皆それぞれ生きる力がある。そして和多志たちは、皆「おかしいことにはおかしい」と言及や追及していける権利がある。その権利を自ら放棄する「事なかれ主義」の人々の多いこと…そうした人々の数が多すぎて、真っ当な声を挙げる人々の勇気が挫かれ無惨にもかき消されていく。そろそろ自主的に氣づこうではないか。和多志は悪にひれ伏さぬと。
デモをしても、苦情電話やメールをしても、もとい選挙に行っても…根本的な世の浄化・正常化には役立たず、時間や労力の無駄ですらあることにようやく氣づく時代がやってきた。盲目的に「お上に言われるがまま」の税金を支払い続けそこに疑問すらもたないというのも論外である。法律にしても然り、数の論理で選ばれた人間が勝手に決めても致し方ないと思う愚者の多さよ。嘆かわしい。
一番の世直し方法は、これまでも言及してきたことだが…被害者・加害者(または原告・被疑者)双方が同じテーブルについて、第三者的な仲介役(公正中立な立場の者)を通して冷静客観的に互いの本音を正面切って語り議論しあう様子を嘘偽りなくメディアが「そのまま」全国に流すことである。いつの世も、倫理的に間違っている側は論理的整合性のないゴールに行き着く法則であるからだ。
加害者・被疑者が、被害者・原告と同じ時間と空間を共有する「場」において互いに嘘偽りなく感情的にもならず事実や真実を安全にぶつけ合える「公の機会(一般公開の場)」が設けられない限り、不正や犯罪等は権力者にとってやり放題となり、公正な者たちの謂れなき粛清の世が続くのは自明の理である。真実は永遠に闇の中…というこれまでの時代をいよいよ終わらせなくてはならない。
もう、犯罪者と思しき輩に「あなたは罪を犯しましたか」と問う、愚かすぎる衆愚国家の茶番劇はやめてもらおうか。
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