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適応障害で休職した2ヶ月後の私の選択

新卒1年目、パワハラが原因で適応障害に
 〜休職2ヶ月後の私の選択〜

こんにちは、ココです!
先日の「私が適応障害になるまで」の投稿にたくさんのスキをいただきまして、本当にありがとうございました。『私1人ではないんだ。』と皆様に救っていただきました。

今回は、次回の投稿の続き「心療内科を受診する決意」から「パニック障害を併発する」までの過程を書いていこうと思ったのですが…
休職期間と2ヶ月後の選択だけで、私の思っていた以上の文章量になってしまったため、この投稿では、適応障害で休職した2ヶ月間とその後の経緯を振り返っていこうと思います。
前回同様、同じ境遇の方がいらっしゃいましたら、スキをいただけると非常に励みになりますし、私自身とても嬉しいです☺️

休職期間については、先日投稿した「休職期間|心と体のリセット」で詳しく解説させていただいているので(傷病手当金などにも触れています)、是非そちらをご覧ください!


診断を受けた日

前回の投稿でも書いたように、
診断を受けた日、私は、これが人生最大の挫折だと感じました。

「適応障害」
その言葉は、まるで私の心を引き裂くようでした。
「障害」という響きに押しつぶされそうになり、自分自身が大きな烙印を背負ったように感じていました。

完璧主義ということもあるからか、自分を責める気持ちを私は抑えきれませんでした。

「どうして私がこんなことに?」
「もっと強くならなければいけなかったのでは?」
「周りに迷惑ばかりかけている…」

そんな思いが頭の中で渦を巻き、抜け出せなくなっていました。

眠れない夜が続き、食事も喉を通りませんでした。
また、常に吐き気や頭痛、抑うつ、睡眠不足に悩まされました。
体の不調は、まるで心の悲鳴をそのまま映し出しているかのようでした。

朝目覚めても、起き上がることができない日々。
何をする気力もなく。ただただベッドの中にいる時間だけが過ぎていきました。

変化の始まり

そんな中、ストレスの原因だった職場から離れたことで、少しずつ心が軽くなるのを感じ始めました。

それまで私を締めつけていた胸の苦しさが、少しずつ和らいでいく感覚がありました。最初の変化は「眠れる夜」が増えてきたこと。次に、少しずつ食事が喉を通るようになり、身体が回復の兆しを見せ始めたのです。人からしたら小さな変化だったかもしれませんが、それは私にとって確かな希望の光でした。

転機となった言葉

そんなある日、友人から届いたメッセージが私の心を大きく動かしました。

「会いたい」

人と会うことに対して自信を失っていたので、最初は戸惑いました。
でも、その優しさに心が揺さぶられ、「会ってみよう」と思うことができました。

友人と会った日、友人は何も聞かず、ただ側にいてくれました。
その静かな時間が、私の中に温かい安心感をもたらし、凍りついていた心が少しずつ溶けていくのを感じました。

支えとセルフケアの力

心療内科での定期的なカウンセリング、家族のサポート、友人たちの存在。
それらを少しずつ受け入れることで、私は「助けを求めることは恥ずかしいことではない」と理解できるようになりました。

また、自分を癒すためのリフレッシュ方法を見つけていきました。
これらの「小さな楽しみ」が、私の生活に少しずつ彩りを与えてくれました。

「障害」の意味が変わった瞬間

最初は「障害」という言葉が心に重くのしかかっていました。
しかし、徐々にその捉え方が変わっていきました。

適応障害は烙印ではなく、「一時的な心の不調」。
必要なケアを受け、無理をせずに回復へと進めば、必ず良くなる。
そう信じられるようになりました。

回復には時間がかかります。
でも、焦る必要はありません。大切なのは、自分のペースで一歩ずつ進むこと。

適応障害は、心が限界を迎えてSOSを出している状態です。
だからこそ大切なのは、できない自分を責めることではなく、「ここまで頑張ってきたね」と自分自身を労ること。
休むことも立派な一歩なのだと、今では思います。

休職期間を終えて

休職期間を終え、私の生活は少しずつ新しいステージへと進み始めました。職場復帰にあたり、会社の配慮で異動が決まり、店舗が変わることになったのです。慣れ親しんだ場所を離れることへの不安もありましたが、どこかで「新しい環境でやり直せるかもしれない」という希望も抱いていました。

店舗が変わるという決断

復職を相談する際、上司から「環境を変えるほうがいい」と提案されました。前の店舗は私にとってストレスの原因となっていた場所。そのため、異動の話は正直ありがたいものでした。新しい店舗のことは何もわからないけれど、「再出発できる」と自分に言い聞かせ、決断しました。

新しい店舗に初めて足を踏み入れた日、店舗の明るい雰囲気や初対面のスタッフたちの笑顔に少しホッとしました。「ここなら、また頑張れるかもしれない」と思ったのを覚えています。

変わることの安心感と難しさ

一方で、慣れない環境には新しい緊張感がつきものです。私自身、人見知りということもあり、スタッフ全員が私を温かく迎え入れてくれたものの、「うまくやっていけるかな」という不安が心の中にずっとありました。仕事のやり方も前の店舗とは少し異なり、毎日新しいことを覚えなければなりませんでした。その1つ1つが、プレッシャーに感じることもありました。

また、新しい環境では、以前とは違う種類のストレスも感じるようになりました。  例えば、店舗の客層や業務内容の違い。以前よりも忙しい店舗で、接客に追われる日々が続きました。また、新しいスタッフとのコミュニケーションも、最初はぎこちなく、なかなか心を開くことができませんでした。「うまく馴染まなければ」という焦りが、私自身を追い詰めていったのです。

通勤時間が長くなった日々

そして、異動先の店舗は、家から通勤時間が大幅に増える場所にありました。朝早く起きなければならないことや、満員電車での長い通勤時間は、予想以上に体力と精神を消耗させました。 最初は「そのうち慣れる」と自分に言い聞かせていましたが、日が経つにつれて、疲れが少しずつ蓄積していきました。通勤中、電車に揺られている間に「このままでいいのだろうか?」という漠然とした不安が何度も頭をよぎりました。

再び立ち止まった日

しかし、無理を重ねた結果、ある日、心と体が再び悲鳴を上げました。通勤電車の中で涙がこぼれ、職場に向かう足が止まってしまったのです。1度止まってしまってからは、もうほとんど行けませんでした。「行きたい」「もう少し頑張れる」と自分に言い聞かせていたけれど、電車に乗る度にくる吐き気、動悸、息苦しさ、酷い時には過呼吸になり駅員さんに助けてもらうこともありました。また、限界が近づいているのを自覚しました。

経験が教えてくれたこと

適応障害の診断は、私にとって人生を大きく変えるものでした。しかし、それは決してマイナスだけではありません。この経験を通じて、いくつかの大切なことに気づくことができました。

・自分の心と体の声に耳を傾けること
・無理をし過ぎないこと
・助けを求めることは弱さではなく、自分を守る行動であること

この気づきは、私の人生の指針となり、これからの私を支えてくれるものになると確信しています。完全に回復したと言える状態ではないかもしれません。でも、確実に前に進んでいる。そう実感できることが、何よりの希望です。

今後も私の辛かった経験が少し続きますが、前回の投稿にも書いたように、今現在の私は前を向けています。毎日笑顔で過ごし、家族や友人との時間も大切にできています。もしこの記事を読んでいる方が、同じような状況にいるならば伝えたいです。あなたは1人ではありません。そして、小さな1歩が、きっと大きな変化をもたらします。焦らず、自分らしいペースで共に進んでいきましょう。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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