『引き寄せ』は軌道に乗るまでが一番苦しい。だからこそ、その処方箋を丁寧に届けたい③
こんにちは、スピリチュアルライター・Cocoです。前回は「わたしたちには浮き沈みがあり、調子が悪いときには、人それぞれ起こりやすい問題のパターンがある」というお話をしました。
そして、何か似たような問題が立て続けに起きる場合には、その問題単体ではなく、自身のベースにある内面的な課題と向き合わなければいけない…ということも。
ということで、今回も「引き寄せが軌道に乗るまでの苦しい期間を、どう乗り越えるか」について、深堀りしてゆきましょう。
前回までの連載をまだお読みになっていない方は、ぜひそちらもご覧になってくださいね。
気になることの「些細レベル」が高いのは、心が傾きかけているサインかもしれない
さて、前回は最後にこんなお話をしました。それは、「もしあなたがうっかり何かを片付けることを忘れてしまい、そのことを誰かに注意されたらどう感じるか?」というもの。
わたしたちは「人」なので、日々の生活を通してあらゆる人と関わり、その中で、異なる価値観同士が衝突したり、その摩擦によって怒りや悲しみを感じることも多くあることでしょう。
なので、「他人の言動によって、負の感情を抱く」ということは、ごく自然なこと。しかし、ときにわたしたちは、知らず知らずのうちにバランスを崩してしまい、過度に感情を振りかざしてしまうことがあるように思えるのです。つまり、決して怒る必要のない場面で、相手に対して敵意を向けたり、決して自分が気に病む必要のないことを、延々と頭の片隅に置いたままにしているということ。
もちろん、そういった行動を問題視していない場合は別です。あらゆることに感情を燃やすことができるというのも、ある意味、才能のひとつと言うこともできるでしょう。
しかし、筆者の場合は逆。この状態が苦痛で仕方がなかったのです。職場の同僚や上司、パートナーから言われる何気ない一言一言に反応し、必要以上に生きる気力を失う自分に耐えることができなかった。だからこそ、あらゆる手段を駆使して、この苦しみを乗り越えてきたものです。
だからこそ筆者は「些細なことに心が揺さぶられやすいか否か」という観点を、そのときの心の状態を図るバロメーターのひとつとして見ています。
そして、前回に投げかけたあの問いー「もし、あなたがうっかり何かを片付け忘れてしまい、それを注意されたら、どのように感じるか?」ーこちらも、そんな意図をそっと吹き込んだものでした。
そう、心が窮屈なときって、こんなどうでもいいことで、心が大きく荒れるのです。身近なちょっとしたことで、しかも、自分には一切故意がなくて、「そこまで怒らなくたっていいじゃん」って小さなことで。
さて、ここでもう一度、お聞きします。
あなたは最近、どれくらい些細なことに、心が揺れ動いているでしょうか?
他人の言葉に傷ついたとき、他人を悪者にしたり、逆に他人を擁護したりしていませんか?
という感じで、身近な人々の些細な一言一言が気になりはじめたら、「あ、自分は今調子が悪いな」と、ふと立ち止まるのが最近の筆者。
と同時に、当然ながらこうした「他人による些細な言葉が気に障る」状態にいる間は、決して気分が良いものではないので、一刻も早く状況を改善しようという意識を即座に働かせます。もちろんそれは「現実で起きていることは、自身の内側にあることの投影であり、自身の内側の状態を改善することで、現実問題は解消される」ということを、身をもって体験しているから。
そしてこんなとき、筆者が行うのは、自分自身に対して投げかけるこんな問いかけー「私は、その言動をどのように受け取っているのだろう?」です。
例えば、片付け損ねたことを注意された場合であれば、「私は人として当たり前のこともできないと思われて悔しい」とか、「私のことを下に見られているように感じて悲しい」など。
はじめのうちは、すっと核心をつく答えに辿り着くことは難しいかもしれません。真の答えをつかむ前に、「あの人だって、もう少し言葉を選んでもいいのに」とか「私の立場だって少しは理解してくれたっていいのに」などと、相手の非を指摘したくなることもあるかもしれません。
しかし、こうした他者への怒りや、誰かを悪者にしようとする思考は、恐らく、上述したような心の痛み(「自分を下に見られているように感じて悲しい」など)から自らを守ろうとして起こる、いわば人類がもつ防衛本能の働きともいえるようなものだと、筆者は思うのです。
また、相手を責めることはしなくても、逆に「あの人は私のことを思って言ってくれているんだ」「あの人は悪くない」などと、必要以上に相手を擁護することも、ある意味、自分の傷から目を逸らそうとしている行為のひとつ
と言えるでしょう。
こうした思いやりのある思考も素晴らしいとは思いますが、「ポジティブなことを引き寄せるために、ポジティブに解釈しないと!」なんて無理に曲解すると、問題の根源に目を向けずにやり過ごしてしまうため、余計に事態をこじらせたり、不運なアクシデントの連鎖がずるずると続いてしまうことにもなりかねません。
だからこそ、相手を責めたくなったり、相手を擁護したくなるなど、「相手軸」が強まっているときこそ、一呼吸ついて、そのベースにある自分の傷を見つめ直すのが、個人的には吉だと思うのです。
ということで、次回は、こうした自身の傷を見つめたときに、筆者がどう対処しているのかをお話したいと思います!今回もお読みいただき、ありがとうございました!
<つづく>