『えんむすび』にあつまる戦士たち

パワースポット、神社、お寺、ジンクスやおまじないによって、『えんむすび』を願う私たち。円を繋ぎ、縁を繋ぎ、チャンスを狙う私たち。『えん』ってなんでしょう??いったい、なにに集まっているんでしょうか?? そして、祈った先に何を求めているのでしょう??

と、思ったのは、友人につれていかれた神社で、たくさんの人が『えんむすび』のお守りを買っているところを見た時でした。
私は寺社仏閣や教会に縁があるのか、よく行く機会があるのですが、行った先で効能とされるものが(本物云々は置いておいて)よく効くのです。だからここで縁結びのお守りを買ったのですが、そのときふと、「えん」ってなにを指してるんだろう、と思ったのです。

えん、の音でも色々思い浮かびます。「円」「宴」「艶」…。でもきっと、ここで並ぶ方が求めているのは『縁』じゃないでしょうか。縁切り縁結びのスポットは絶大な人気のあるジャンルを形成しています。特集が組まれ、効果についての口コミが溜まり、伝説化していく縁のスポット。『縁』、なんでみんな、縁を求めるんでしょうね。

この「縁結び」とはどういうことなのでしょう。辞書的には「男女の縁を結ぶこと」とありますが、現代の縁結びとは少し違う気がします。もちろんこの効能をものすごく望んでいる方もいますが、「恋愛成就」ではなくもっと大枠での「縁結び」を求めているのですから。

ということで、聞いてみました。たまたまとある神社で仲良くなったお姉さんに、「縁結びって、どういった感じをお望みでいらっしゃったんですか〜」とうっかり神の下僕からのアンケートみたいな聞き方をしてしまったのですが、良い方で、笑顔で答えてくれました(書いてもいいよーって言ってくれましたありがとうございます〜)。
お姉さん→お
筆者→私

お「もちろん恋愛成就的なのも望んでるんですけど、私は機会に飢えてるんですよ」
私「機会ですか??」
お「チャンスと言ってもいいのかな〜どんなに実力あってもチャンスないとマジでなんにもならないんですよー」

なるほど。確かに、と。私の友達も機会にガツガツしている人が多くて、そういった人は機会を掴んでは最大限に有効活用しています。でもそもそも時の運か、機会そのものが来ないことも多いし、それは運次第だから、そういったものは神頼みだ〜ってこと…ですよね。

はるか昔はある程度身分によって得られる機会は想像の範囲で、ある程度の祈願はあれど身分がそこそこの機会を保証していたと言ってもいい面があるのでしょう。いまは恋愛にもある程度運が必要だけれど、どちらかというその恋愛しかり仕事しかり、成功のきっかけになるそもそもの機会の方が運要素が強いのではないでしょうか。誰もが機会をつかめるから、その分ランダム要素が強い。だから、機会と縁づきたい…。なるほど、私も真面目にお祈りしないと…。

自らを鼓舞するという意味でもパワースポットで背中を押してもらうことは割と素敵な習慣だと思っています。自分の機嫌は自分で取らないといけないけれど、それはなかなか難しい。だから少しでも外的要因で気分を切り替え、そして自分の目的を見つめる。それが私たちが「えんむすび」に対する姿勢な気がします。祈った先で、スッキリした心と、チャンスを掴むぞという強気な姿勢。現代の戦士たちは、心を浄化し、そして機会を掴むためにパワーを蓄えているようです。


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