圧倒的マイノリティー
一人で知らない土地に住むことは東京で一人暮らしを始めた時にも経験したことだけど、
今までは大体、同年代の人と何かの同じ目的があって集まった人達の中でのコミュニティだったし、年齢、国籍はだいたい一緒だったから、自分がマイノリティーだと感じる経験はしてこなかった。
人間関係を一から構築していかなければならない場面は割と訪れるし、誰もが一度はかかえる友達できるかなという不安と期待は経験してきたから、新しい環境での新たな出会いに対してはワクワクの方が大きかった。
海外に住むという小さい頃からの夢がかなって今アメリカ在住3年目に入ろうとしているけれど、思い描いていたような「自由で気ままな海外生活」というよりは「圧倒的孤独との戦い」って感じの方が最初の一年くらいは強くて、知り合いは増えていくけど友達とは呼べない人だけが増えていき、やっと仲良くなったと思ったら帰国や卒業などでいなくなってしまうことばかりで、さみしさばかり募っていった。
元々パーソナルスペースが広めで、家族や親しい友人でさえも触れられたくない私の空間みたいなのに対する警戒心が強めで、週に1回は誰とも会わない日が必要な私だから、人に心を開くのに時間がかかるタイプではあるのだけど、幸いにも友達には恵まれ、よく顔広いねと言われるくらいだったからどうやって友達になるかなんて考えたことがなかった。
でも留学に行ってからというもの、“二人でお茶に行く人”を友達だとすると、自分からお茶しようと誘える人はなかなかいなかった。
大学院のクラスメイトはだいたい1クラス10~15人くらいそのうち女性は2~3人なことがほとんど。日本と違って大学院生になるのは大学卒業後すぐとは限らないから女性は既婚者が多い。そうなると同世代でないことが多く、友達というよりは先輩のような関係性になり、なかなか親しげにはできない(ここが日本人気質の抜けきらないところ)。
またクラスメイトは留学生も割りといてそういった面では自分だけが英語が堪能ではないというコンプレックスを緩和してくれるのはありがたい。
いつも感じるのは同じバックグラウンドがないと笑いのツボが違うということ。
説明しなくても分かる共通認識がないことは意外と共感するという点では難しい。
”日本人女性”に対する偏見は間違いなくあるし、初対面でAVの話をされることなんてもう驚かなくなるほどされてきた。でもそんなイメージを作っているのは実際たまにいるそんな日本人女性だったりするし、一概に否定できないから腹が立つ。
自分が違うと思うこと、そう思われたくないことは否定できるようになったから、
9人中私以外全員男性のクラスで「日本のAVは性教育ではない」とはっきり言えるようになった自分をちょっと褒めてあげたかった。
そんな圧倒的マイノリティーだと感じる環境は日本にいるときにはなかった体験だし、
意見を言わないことが同意であるとされたくないから
サイレントマジョリティーにはなりたくないと思えるようになった。