「でも、ありがとなー」
松葉杖をついたまま、片足のないおっちゃんが車道で何かを拾おうと苦心してるように見えたので、手伝おうと自転車を止めて
「何か落とした?」
と聞いてみた。そしたら
「いや、タバコ、溝に落とそ思て」
ーーと返答が。
火のついたタバコをポイ捨てしたもののそこは雑草だらけだったので、せめて溝に落とそうと指で金蓋のところまで転がしていたところだったのだ...
ガクッと来て
「なんじゃそれ」
と思わずお国言葉を発した去り際、背中に
「でも、ありがとなー」
と情のこもったおおらかな声。
振り返って見れば80年代サモ・ハン・キンポー映画などに出てた香港俳優リチャード・ンに似た良い味のヒゲ風貌。
この場合、『でも』は何にかかっているのか?
自分は正直『ゴミを捨てるヤツだいたい どうぶつ』として平静を保つ不寛容な人間なんだけど、それはそれとしてこの日ばかりは結構まんざらでもない懐かしい気分で昭和を思い出した。
…なんだか復唱したい「でも、ありがとなー」でした。
どっかでまた会えたら面白いな、と。
🎵寛容、それは君が見た光
僕が見た希望
寛容、それは 子ども叱るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ
…..寛容がしっかり根を張れるよう精進したいと思います。
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とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。