酒とビンボーの日々 ⑪季節のビンボー
清少納言は「春はあけぼの…」と言った。
世は春としてイメージするものは「誕生」であったり、
物憂い気質のようなものであったり、
若いからこそ感じられるアンニュイであったり、喜びであったり。
だからこそ、気分のジェットコースターのような高低差のある情動に耐えることができるのである。
ただ、もう50に手が届こうという僕にははたで聞いている分にも
そういう高低差がありまくる彼らの言動が辛くてたまらない。
勤め先が大学に近いので4月になれば新入生同士の意味もない興奮にうわ滑るような言葉を聞いたりすると正直、うるさいなと思ってしまう。
それは彼らの絶望であったり、歓喜であったりしても僕をうんざりさせる。
「うわ、彼女できねー」「クラスの奴らと波長があわない」なんていう焦りや「サークル、チョーおもしれえ!」「毎日合コン三昧!」なんていうリア充がとても楽しかったりもするのだろう。
何気なく入った定食屋でそんなグループが横にいたりすると
こちらの飯がマズくなることといったらない。
こちらからすれば「正直どーでもいい、だからなに?」と言いたくなる。
彼らは、若い彼らの人生の主人公はまだ自分自身なのだ。
舞台俳優のように自分の舞台の上で大きな声を張り上げて、ああでもない、こうでもないと言いまくるのである。
他人の迷惑も考えずに、ね。
だから、僕は「春はあけぼの…」なんて悠長なことも言っていられない。
年を取ると季節の移ろいは憂うつである。
冬は冬で、休みの日にいつもと同じ時刻に目が覚めるのであるが、
あまりの寒さにそのうち二度寝してしまい、
正午過ぎに目が覚めると、その一日にうんざりしてしまう。
しかも、妻も息子も起きるまでにさらに1時間ほどかかってしまうので朝食兼昼食も結局14時くらいになってしまうのだ。
(うちは乾燥するので基本暖房はつけない、電気代あがるし…)
冬の日の入りは17時前後だ。
すると一日が短く感じてしまうのである。
正午に起きて、明るい時間が5時間しかないなんて、
まるで何もすることがないまま終わってしまうような気がしてしまう。
少なくとも夕飯時の酒盛りくらいは意味のあるものにしようと
家の周りの安いスーパーを駆け足で見て回り酒の肴を探し回る。
運動には良い(その周辺を歩くだけで1万5千歩になる)のだが、それだけで2時間は経ってしまう。それで休日が一日終わってしまうのだ。
これはまさに二度寝してしまう、時間ビンボーである。
老年を意識すると色々と足りないものに気づかされる。
まずはカネ。
その次は、時間、根気、やる気…とないない尽くしである。
でも、カネさえあれば時間も根気もやる気もリカバリーできるので、大まかの部分ではカネで解決できる問題だ。
やはりカネがモノが言う(苦笑)
これじゃ、夏や秋についても言及することもないな。
今日はこれにて仕舞い。