腐女子向け、非実在の戦争のきほん② 馬の予習 上
前回はこちら
①、一番エッチな兵科は騎兵である
Q. どうして騎兵が一番エッチな兵科なのか
A. 乗馬をすると腰回りがバキバキに鍛えられるから。
……頭の悪い話でとても申し訳ない。特に高度な理屈は存在しない。期待していた人には重ねて申し訳ない。
もともとこの次元の話をするための記事で、こんなに閲覧者が出ることは全く想定していなかった。先の記事に至っては執筆から画像を作って投稿するまで6時間の代物だ。
とはいえ、騎兵が一番エッチな兵科であるという私の心に嘘偽りはない。(異論は認める)
騎兵とは、馬に騎乗して戦う人である。
さて、騎兵は戦場の花形だが、騎兵の描写はとても難しい。上の生き物と下の生き物は別種なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
騎兵の時代はもう終わったが、騎兵の運用についての議論は耐えることがない。時代が終わったと言っても、様々な理由で馬は依然として現役の交通手段にして使役動物である。いくら自動車が発達しても、ガソリンが補給できない場所では、馬は車やバイクに優る。軍事パレードでも騎馬隊が出ると盛り上がる。馬の魅力は果てしない。
正直自分も騎兵の運用については(エッチなBLのために)勉強中なので、もっと後に出してもいいと思ったが、架空とは言え世界に馬がいないのはあまりにも味気ない。よって、今回は、なるべく基本的なことに絞り、「架空の世界にとりあえず馬を配置できる」ラインを目指すことにした。
そして、予告とはやや異なるが、この記事では、知っておくと後の説明を理解しやすくなるように予習として「馬という生物」と、大雑把な騎兵という概念の栄枯盛衰について、前回以上に流し読みできる文章を試みる。いわゆる「クソ雑な説明」なので、読み飛ばしても大丈夫。
もうすこし簡潔にしたかったが、記事が増大してしまったので、今回は上下構成でお送りする。
参考文献は下のほうにとりまとめておくので、そちらをご覧いただきたい。
また、身もふたもない話で申し訳ないのだが、本稿の執筆にあたって、本代が尽きた。のちに改訂・加筆する可能性が高いことをあらかじめご了承いただきたい。
②、馬とはどんな生き物か
馬がどんな生き物か、一口に説明するのは難しい。
だが、人間にとって馬が素晴らしい生物であることは、人と馬の長い歴史それ自体の存在から、もはや疑いようがない。
馬が嫌いという人はめったにいない。
もちろん腐女子も馬が好きだ。王子様は馬に乗っているものだし、スーパーダーリンの攻め様も当然馬に乗っている。騎士や武士のBLにはことかかないし、”北米を馬で横断するジャンル”まで絞ってみても、私が知る限りだけでもいくつかある。
しかしながら、馬はとにかく描くのが難しく、描写はさらに難しい。これはおそらく、現代日本では生きている馬と接触することが少ないことにも原因がある。馬を知らない人はまずいないが、馬を飼育している人は限りなく少ない。知名度の割に接する機会がない、それが馬である。
推しが跨っているのはどういった生き物か、今一度確認してみよう。
馬は四足の草食動物だ。一本の足に付き蹄の数は一つで、足先が割れている牛や羊とは別系統の生き物である。蹄が一つなのは、馬の脚が人間でいう、中指の骨一本で構成されていることに由来する。
馬の大きさは体高で語られることが多い。体高は地面から肩までを測る。人がまたがるのは方より少し後ろなので、人のお尻が乗る高さは体高よりわずかに低い。(鞍がある場合はその厚みも含める)
現代では体高147cm以下の小型な馬をポニーと呼ぶ。
体高は他の動物の採寸にも使うので、覚えておくと便利である。
馬は高度な知性と社会性を有している。
「歩け」「走れ」「止まれ」と言った人間の指示を理解する動物は、非常に限られる。ほとんどの生き物にはできないことである。動物の中でも、騎乗できて、かつ馬ほど思い通りに動かすことができる動物は珍しい。
高度な生き物なればこそ、馬は感情豊かで、個体差を持つ。
馬は群れで暮らすので、馬同士の感情を読みとることができるように発達し、同族に対するのと同じように、人間の感情を読み取ることができる。
馬の顔を見てみよう。
草食動物なので、両眼は顔の左右についており、横の視野角がとても広い。視野角というのは、生き物を中心にして円を描いたときに、見える範囲の角度のことだ。横の視野角は真上から見たときの範囲である。人間の視野角は200度程度だが、馬の視野角は300度を超え、馬が視認できない範囲はほぼ真後ろしかない。
視野角の概念は、人外やクリーチャーを作るのにとても便利だ。拘る人は、縦の視野角も考えてみよう。
馬の耳はピコピコ動くのでとても愛らしい。犬猫のように、耳の動きで感情を表すこともできる。馬は音に敏感である。大きな音は苦手だ。馬と接するときは、驚かさないようにしよう。
口元はどうだろうか。
唇は分厚くぷよぷよしており、触覚に優れる。馬は知らないものを口元で触って確かめることができる。味覚も発達し、食べ物に好き嫌いがある。
頭骨を見ないと分かりづらいが、馬は前歯(切歯)と奥歯(臼歯)の間に歯が生えていない隙間がある。この隙間はとても大切で、ここに「ハミ(馬銜)」を噛ませ、手綱を結びつけるのだ。要は「馬の口元から出ているヒモは、馬の口の中を通っている」ことになる。人が馬をコントロールする上で、馬の口の中にこのように都合の良い空間があった恩恵は大きい。
馬は走る生き物であるが、他の走る生き物と比べた場合、持久力に優れている。犬やチーターもトップスピードはあるが、馬より長時間は走り続けられない。
馬の足腰はとても発達している。馬のお尻は丸くてキュートだが、中身は全部筋肉だ。
馬は基本的に温厚で臆病な生き物だが、それゆえに死角である真後ろに対して不安を持っている。外敵を持つ生き物は、不安や恐怖から攻撃に転じることが多い。馬は見えない真後ろに気配を感じると、バキバキの筋肉のついた後ろ足で、強烈に蹴り上げることがある。本気の蹴り上げが頭に当たると、人間は即死する。馬がいたら視認できる場所に立ってあげよう。馬の真後ろに立って蹴られるキャラは、素人っぽい。
馬は独特の走り方をする。これがまた美しい。
馬の足並みには名前がついていて、これを歩法と言う。常歩、速歩、駈歩、襲歩の順に早くなる。常歩はトコトコ歩きであり、襲歩はいわゆるギャロップ、全力疾走だ。その他にも、馬の挙動にはきちんと名前がついていることが多い。
疾走する馬の足並みはあまりに高速なため、その速度に追いつける撮影機材が発明されるまで、よくわかっていなかった。なので、カメラが発展する前の絵画では、しばしば馬の足運びが間違って描かれている。
この逸話はフィクションでも用途が多く、写真機材のない世界では絵描きが馬の足運びを間違えて書いているとか、あるいは特殊な視力のキャラが”馬の襲歩を視認できる”などの描写に使える。
四足歩行で接地している馬は、二足歩行の人間より遥かに悪路に強い。 我々は1cmの段差にも躓くし、砂利道を疾走することはできないが、馬なら走破できる。
馬の脚は、膝を伸ばした状態でロックがかかるような仕組みを備えていて、力を抜いた状態でも馬はたちっぱなすことができる。これゆえに馬は立ったまま眠ることができる。
③、馬と人間の営み
馬は一体どこから来たのだろうか?
人が馬に乗り始めた時代には諸説あるが、古くは6000年前と考えられている。古すぎることほど厳密にすることは難しいので、「諸説」が生まれやすく、おおよその年代の幅も巨大になる。1時間前のことは分単位で判明しても、1000年前のこととなると月単位でも困難ということだ。
馬という種の歴史はさらに古い。今から遡ること55,000,000年前(5500万年前)、ヒラコテリウム(Hyracotherium)という生き物がいた。馬の先祖である。40~50cm程度しかない小さな生き物だった。
そこから徐々に大きくなっていき、2,000,000年前(200万年前)ころに、今の馬の姿になったようだ。
最初は世界中に馬の先祖につらなる種族がいたが、今の馬の姿になる前に南北アメリカ大陸では絶滅してしまい、ユーラシアでだけ生き残った。そのため、世界史で南北アメリカ大陸、そしてオーストラリアに馬が登場するのは、ユーラシアから持ち込まれて以降である。
人がどうやって馬に乗り始めたのかは単純で、草原を闊歩していた馬の背中に、人間が飛び乗ったと考えられている。
実は、人間は馬と並んで持久力のある生き物だ。トップスピードでは馬に追いつけないが、馬が疲れるまで長時間長距離を追いかけることは可能である。
しかしながら②で述べた「馬の体高」を顧みてもらうと想像しやすいと思うが、小型な馬でも飛び乗らなければならない高さは140cm近く、更に動き暴れる野生動物の背中に飛び乗るとは、たいした運動神経と度胸である。
それから人間は馬を飼育し、繁殖させはじめた。飼育が広まると、品種改良も行われた。気候や目的、好みといった様々な条件に合わせて多くの品種が作られた。
そう、馬にはまことに多様な品種がいる。犬ほどではないが、馬も品種によって、からだが大きく異る。
体格はもちろん、性格、気候への適応性、蹄の硬さ、果ては腸の長さによる食性の違いまで、品種の違いで変化する。
自分の有るか無きかの知識の中からでも、推しに乗って欲しい馬を探すのは大変楽しい。ジャンルによっては、公式で推しが自ら馬を選ぶシーンがあるだろう。あなたの推しはどんな馬に乗るのだろうか?
以下は読まなくても良い。
最も馴染み深いのは競馬に使われるサラブレッドだが、彼らは競走馬だ。彼らは猛スピードで走るのに特化したスリムな体をしていて、とても繊細だ。度胸や図太さが必要とされる場面にはあまり向かない。しかし整地された競馬場を疾走するとなると、文字通り他の追随を許さない。ジョッキーの推しが風になれる。
個人的に好きなのは、ペルシュロンやシャイアーと言った大型馬である。とにかく大きい!馬とニワトリはでっかいのがよいのである!巨体からは安定感抜群のぶっとい足がでており、体重は1トンにもなる。馬車を引くのに使われ、ばんえい競馬でも大迫力を見せてくれる。推しカプが立派な馬車でデートするならこれだ。大型馬は、その立派な体格から軍馬としても愛され、重装の騎士を載せることから大砲の牽引まで行った。
歴史が好きならアラブ馬はとても興味深い。現存する中では人が最初に確立した馬の品種と言われている。成立には諸説あるが、ともかくアラビア半島の遊牧民たちに愛された。頑丈で厳しい環境にも強い。熱砂の中をゆく推しカプにおすすめ。
同じく歴史の枠ならモンゴル馬(モウコウマ)も外せない。この馬はずんぐりしていて、肩までの高さが140cm前後と小柄だが、果てしないスタミナを持っている。「モンゴル帝国」をみんな授業で聞いたことがあるだろう。ユーラシアを横断寸前までいった、モンゴル帝国の大進撃を支えた馬である。乾いた寒い大地をゆく推しカプに最適。
また、モウコウマの血統と考えられているのが、木曽馬や対州馬といった日本の在来馬だ。平安戦国などの日本モノのカプにはこの馬……なのだが、これはつまりもともと日本の馬は小さかったことを意味する。いかんせん、日本史のコンテンツで小さい馬が描かれることがあまりに少なかったため、在来馬なのに逆に馴染みが薄くなってしまった。時代劇など、堂々とサラブレッドの巨体が描かれているコンテンツでは、いさぎよくでかい馬に推しを乗せるのもよかろう。ちなみに私は時代劇の騎乗シーンのたびに「馬がでかい」と定型文を発して喜んでいる。やかましいことシンバルを叩く猿のおもちゃの如し。
在来馬の研究は活発に行われていて、狩衣に烏帽子などで騎乗した、いわゆる再現を試みた動画も拝見することができる。超かっこいいので、好きな人は「木曽馬」でYoutubeを調べてみるとよいだろう。
とにかく、馬の種類には多様性がある。馬の種類の多さは、馬にまつわる文化の豊かさを演出してくれる。もちろん架空の品種を都合よく作っても良い。
とはいえ、脳内で勝手に品種を作り出すなら、目的が明確な方が良い。
日常では、どういったことに馬が用いられたのだろうか。
交通はわかりやすい。馬に乗って移動することは想像しやすく、馬車も同じだ。交通は運搬に直結する。馬と人間では、一度に運べる荷物の量が違いすぎる。
農耕はもうすこし想像しづらいかもしれない。馬に農具を引いてもらって、土を耕すのである。馬がいない場合、植物が根を張りやすくなるように土をひっくり返すのは、すべて人力で行わなければいけない。これでは耕作できる範囲はとても狭くなる。収穫した作物を出荷するのにも当然馬が利用された。
土木も概ね上2つ同じように馬のパワーが重宝された。特に、伐採した木の根っこを引っこ抜くのに馬が用いられた。これは森や未踏の地を開拓するのにとても重要だ。利用できるように平らな地面を作る。
時代が下ると、馬は鉱山でも利用された。狭い坑道の中に連れ込めるのは小さなポニーとなるが、それでも鉱物を満載したトロッコを引っ張る力は人間とはあまりに違う。
馬の飼育には費用と手間がかかる。毛並みを整えてやり、食事を与え、毎日歩かせなければいけない。
この、毎日歩かせてあげることが、馬にとっては食事と水ぐらい必須である。馬は、体液の循環に歩行が必須なのだ。馬の巨体に血液をめぐり渡らせるには心臓だけでは足りず、馬は歩行に循環をアシストする機能を備えている。このために、馬の命に人間のような”寝たきり”は存在しない。馬にとって自力で歩けないことは死を意味する。歩かせなければ、どんな優れた馬も駄馬になり、ひいては血液の巡りの悪化が致命的となって落命してしまう。
馬の飼育は、とても手がかかる。動物にかかる手間暇は、動物への愛着を原動力としないと、続けることは難しい。普段から仕事で動物に携わる人はもちろん、ペットを飼育したことがある人も想像しやすいと思う。
馬は、維持費、こうした手間暇にかかる人件費、そして利便性のために、金銭的価値がとても高い。今の現代日本では馬は文化的動物だが、馬が実用品であった時代には更に高くなる。より多くの馬を所有することは、富の証であった。馬は財産そのものにもなり得た。
ちなみに、現代で馬を所有しようとすると、その維持費は軽自動車を超える。いまや車は馬より安価な乗り物ということだ。馬の所有ハードルが、馬の機械化の発展で下がったと言えるかもしれない。
さて、だんだん推しカプと馬のいる風景が想像しやすくなってきたのではないだろうか。本音を言うと、馬と人間のカプでも、私はいいと思う。
個人的に好きな推しカプ馬のいる風景シチュは、「攻めの愛馬にナメられる乗馬スキルのない受け」である。
下に続く。
おまけ・馬の文化史に触れられるコンテンツ
ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド (ゲーム)
本文の中でもふれたが、「野生馬に飛び乗ることができる」ゲーム。原初人が馬を捕まえた姿だと思うと興味深い。しかもリンクさんは馬車引きとしか思えない大型馬にも飛び乗っているので凄まじい、さすが勇者である。
オープンワールド(超巨大なマップに、マップ切り替えの読み込みを設けない構造のこと)のゲームとしてもとてもとっつきやすく、さすが任天堂というほか無い。スイッチを所有している人におすすめ。
レッド・デッド・リデンプション2 (ゲーム)
西部開拓時代末期がそのままゲームになったようなゲーム。
こちらはPCとPS4で動く。
オープンワールドとしてはハイコンテクストでとっつきづらい。つまり、作り込みが精緻になりすぎて文脈が解説されていないことが多く、西部開拓時代について事前知識がないと分かりづらい部分が多い。ついでに字幕でプレイしようとすると表示レイアウトが悪く、英語のリスニングができる人が優位になってしまう。「ピンカートン探偵社」と聞いて「ハイハイあれね」と分かる人におすすめ。
とっつきづらいが、いったん世界観がわかると、素晴らしい完成度であることも理解できる。それゆえに、「馬に凝りすぎるとこうなる」一例としても見ることができる。多様な品種やステータス、モーションに加え、雄馬は気温で睾丸のサイズが変化する。馬に蹴られて死ぬ人なども見られる。
腐女子には主人公が超セクシーなおじさんなのも嬉しい。
乙嫁語り (漫画)
中央アジアを舞台に生きる、女性たちの結婚とその生活にまつわる漫画。
作者の森薫氏の文化への精通ぶりは素晴らしく、外務省掲載の漫画もおすすめである。
とにかく絵が美しい漫画で、素晴らしい画力によって、事前知識がなくても日常ではなかなか触れることのできない遊牧生活の価値観の一端に触れることができる。
オタク向けとしては、読後アラル海のことを考えるとめちゃくちゃ気分が落ち込んでくるのも高評価。
余談だが、筆者はいわゆる生物好きで、およそ真核生物なら割と何でも興味を持てるのだが、一番好きのは鳥である。
編集履歴
2021/2/10 知識的間違いを訂正 馬の蹄は中指