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なぜカレーの記事は読まれるのか、文章の力がワクワクを呼び起こす

思いのほか、スパイスカレーを食べる記事が読まれています。
なんでだろう。

内容の良し悪しは別にして、そもそもビュー表示がされない記事が大多数の中、このカレーの記事だけは、毎日誰かに読まれていて、スキをもらえる。
スキをもらう以前に、そもそも記事にたどり着いてもらえないという状況なのに、このカレー記事だけは突破していく。
これもスパイスの力か?

身近なテーマを選ぶと読まれやすくなる

特別に、人気があるタグを付けているわけでもないので、おそらくは、カレーというテーマの身近さが、多くの人に見られている理由なのかもしれない。
毎日、誰かがカレーを食べたり、作ったりして、カレーのことをきっとnoteに書いているんだ。
カレーのことを書くと、関連記事の1つとして、俺の記事もきっと出るんじゃないかな。
それでカレー仲間が読んでくれているに違いない。

最近は、noteを開くと、スパイスカレーの見出しが出てきて、関連記事が表示されていることから、カレー好きのnoteには、間違いなく、誰かのカレー記事が表示されているのだと思う。
カレーの力、恐るべし。

ということはだ。
マニアックなことを書いても、誰もそのテーマの文章を書いていなければ、誰にも表示されないということなんだろう。

たとえば、今書いているような、この誰とも関連付けられなさそうな、試行錯誤の過程をただつらつらと書いているだけの記事は、誰にも表示されない可能性が高い。

ChatGPTと作るnoteの未来

でも、こんな記事でも誰かの関連記事として表示できる方法があるのかもしれない。
こんなときは、話題のChatGPTさんに何とかしてもらおうと思ったんだけれど、残念ながら、今はユーザーが多すぎて停止中みたい。
残念。
noteもGPTの導入をしていくみたいで、なんかすごいね。
早速、応募してみました。

すべてを人が自分で書いたnoteと、AIと一緒に書いたnoteと、AIがすべてを書いたnoteが混在する時代に突入するんだね。

誰かのnoteを読んで、ワクワクしてみたい

誰かのnoteを読んで、ワクワクしてみたい。
でも、最近のFacebookが特にそうだけれど、楽しい投稿に出会うことがほとんどない。
大量の広告にいつの間にか埋もれていて、その大量の広告には、なんかクリックしてみたくなる見出しや写真や映像がくっついていて。
でも、クリックして読んでみても、何にも面白くない。
クリックしちゃったから、また広告の波に飲まれてしまって、肝心の友達の投稿がさっぱり流れてこなくなる。

AIが入ってくると、似たような記事が流れてきたり、ウケを狙ったタイトルや投稿が増えたり、AIが書いた言葉を何もチェックすることなく、そのまま流したり、ということが増えるんだろうなと思う。
でも、多分だけれど、noteに関してはそれが起こる割合は、ぐっと少なくなるような気もしている。
もともとが、書くのが好きな人が集まっているわけだから、そこにはAIですら創作にしていく気質をもっているのだと思う。
どちらかというと、自力で書きたい人の方が多そうな気がするので、そこでみんなどうするんだろう? という興味はある。

文章が持つ力

文章には流れがあるから、書き始めたからには、終わりがある。
書きたかったことでも、一度できてしまった文章に合わなくなれば、その書きたかったことは、今回は見送られることもある。
文章には、リズムが合って、流れがあって、起承転結がある。
文章にするというのはそういうこと。
だから、AIが文章を作れるというのも、なんとなく理解できる気がした。
文章というもの自体にある程度の規則性が成り立っているから、AIは文章にできるのだと思う。
でも、文章が持つ性質そのものだから、AIじゃなくたって、誰が書いたとしても、自分の意図とは無関係に、ある一定の文章は書けるのだと思う。
自分の意見や性格とは全く関係がなく、全く違った立場のことも書くことができる。
それが文章が持つ、そもそもの力なんだと思う。

誰かに何かを伝えたいとか、役立つ記事をたくさんかいてフォロワーを獲得しようとか、そういう意図を全くもたずに、ただ、流れに身を任せてキーボードを思いつくまま打っていくだけで、思いがけない方向に向かって文章が進みだす、ということがある。
自動書記状態とはちょっと違うかもしれないけれど、似ている。

noteは最高の娯楽。書くことは楽しい。

だから、書くことって好きなんだよね。
もう二度と、再現できない、今日だけの文章。
書いて楽しくて、読んでもらうこともできて、誰かの文章も読める。
これって、最高の娯楽なのかもしれないね。


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