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スケッチジャーナル哲学で生き方を考えた 読書日記2022.10.31(木)

 早起きをする。朝からちゃんとストレッチをしたり、家事をどんどん片付けて、こんなに生産的な朝はいつぶりだろう。最近、得意だったはずの早起きが苦手になっていた。

 6時には家を出る夫を送り出す。その後夫から「チ。読んでいて二駅乗り過ごした」とLINEが来る。子供を送り出してから仕事へ。

 昼休みに「スケッチジャーナル・ビギナーズ」(ハヤテノコウジ)を読み終わった。最高に良い本だった。

はじめに、から嬉しくなる文章だ。

私は美大を出たわけではなく、アート専門学校で学んだわけでもなく、ただ楽しく描いて描いて描き続けていたら、イラストレーターの仕事ができるようになりました。しかも、サラリーマンをやりながらです。

「スケッチジャーナル・ビギナーズ」p11

 最近読んだ、坂口恭平の「生きのびるための事務」のことを考えた。好きなことを、好きなように、すきなだけやり続けるということ。そのために必要なことを自分で整えることが事務。ハヤテノコウジさんも事務をやり切っている方なのではと思った。イラストを描くことをコツコツと20年間も続けたそう。そして継続するための仕組みも決まりもマインドセットも自分で考えて整えてらっしゃる。

 スケッチジャーナルって簡単に言えば絵日記、なのだが、それだけではない「自分の生活をトコトン愛し抜いて自分で自分の人生寿ぐぞ」という孤独でピースフルな哲学が満載である。

 マンスリー手帳のマスを絵で埋める。お気に入りの場所や時間を、お気に入りのノートに絵で残す。

 正直なところ私はイラストというものとずいぶん距離があって、図工も美術も苦手だったし、好きじゃない。絵を描くという行為にあまり親しみがないし、惹かれないんですよね。でも、この本には刺激を受けた。この本における「スケッチ」を「文章を書くこと」に置換したわけです。

スケッチジャーナルを続けると、何がいいのでしょうか?
1つめは「自分の価値の再発見」です。ワクワクを記録することは、自分の暮らしに「いいね!」を押すことになり、自己肯定感が高まります。2つめは「比較しない」が習慣化すること。明日の自分に読んでもらうために絵を描く、自分らしい線と文字の味わいを感じる。自分の軸が際立ってくるでしょう。3つめは「共感とのつながり」です。同じような趣味を持つ人、さらには自分の作品を通じてワクワクを分かち合える人との出合いにつがなります

「スケッチジャーナル・ビギナーズ」p12

 人との出会いもメリットの一つに挙げてはいるものの、著者はそれを一次目標にはしていない。最初は誰にも見せずに公表せずに一人でスケッチジャーナルを続けることをすすめているし、公開するにしても一緒に楽しむ人間は限られた範囲でいい、と言っている。あくまで自分の楽しみ、自分の充実のために描こうとすすめている。

 そして、スケッチジャーナルの最大の効能は「人生の濃度が上がる」だと断言しているのだ。

最高じゃん?

 ジャーナル活動は「探索(ネタ探し、描きたいから行きたい、食べたい、を探す)」→「行動(行きたい場所に行く、食べたいものを食べる)」→「創作(描く)」→「評価(描いたものを見る。好みを再確認したり感謝したり)」を回すことにある、らしい。なるほどである。

 描こう、という目的があれば、その目線で世界を見ることになるし、描くためにフットワークも軽くなる。自分にとっての「映え」を探して自分で愛でる活動。最高。

つまりこれが上手な人が、人生上手なんだよ。

 自分の好きなことをする時間を作るためには「自由時間の数量化」「自由時間を浪費しない」「自分の余暇を懸命に用いる」と、仕事のように時間マネジメントして本気で創作活動にぶつかっているのもかっこいい。

 日曜芸術家、という設定もまたいい。週イチで欲張り過ぎずに創作活動をしましょう、っていうスタンス。手を抜こうっていうのではなくて、時間は有限だし、だからこそ自分の限られた創作の時間を味わい尽くすんだ、という心意気。

 平日は来る創作時間のためにネタを探したり、逆に創作活動で得た良い気分や考え方を仕事に活かしたり。自分を追い詰め過ぎずに日常に溶け込ませた創作活動ってなんて健全ですばらしいんだ。

 大げさなモノではなくても生活に「創作」が入ると、生き方が変わると思う。

 巻末特典、著者の実際のスケッチジャーナル1年分は見ごたえあり。誰かの記録を覗くのは楽しい。

 本を閉じて、考えた。
 じゃあ私は?書くことにどうやって向き合う?

 昼休み中考えていた。

 今日で10月も終わり、早い。10月はほんとうに忙しかったのだ。げっそり。夏が殺人的に暑くなってからというもの、なにかとイベントは秋に詰め込まれるようになった、ように感じる。今月は小学校の運動会、自治体の運動会、小学校のフェスタ(フェスタでも玉入れしてた。運動会が3週連続あった感覚だ)、インフルエンザ予防接種2回、子供と私の歯医者(子どもがついに矯正スタートする)、胃カメラも飲んだし、BBQもしたし、古本市は楽しかったし、副業も頑張ったし、小説も書いた。ついでに夫の誕生日も祝った。

 十分頑張った、はずなのに私は自分を見失ってないかきょろきょろして不安になる。

 財布を落とした人のように、体のあちこちをばたばたと探って、私、なにか落としてない??って怖くなる。

 小説を書いていたときは自分と文章が一体になっていて、下手で不完全なものをこねくり回しているだけだとしても「私!」という実感があった。

 日常にもっとそういう時間を増やせばいいのか、と思うがそうだろうか?それがスケッチジャーナル的な生き方だろうか?

 仕事が終わってスーパーに寄ってお菓子を大量に買い、学童に迎えに行く。どうしても友達と帰りたいという娘とコンビニで友達を待ち伏せする。明日は遠足だ。お菓子を買い足す。

 夕飯は塩麹に漬けておいた手羽元をグリルするだけにした。副業の納期がやばい、と気付いて少し作業する。お風呂に入ったあと子供の友達たちとグループビデオ通話をした。みんな元気そうでよかった。

 明日は遠足なんだから早く寝なきゃ、寝かさなきゃ、と焦るのにどうしても寝るのが遅くなる。私の子供への声かけが下手なせい、副業に時間使ったせい、無駄にスマホ触ったせい、こうやって自分を責める時間も無駄なのに、とネガティブ思考にまみれながら就寝。


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