頼れる人になる
7/6(月)~10(金)、まさしく「あっ」という間にすぎた一週間。
事業所で作っている作品が、新聞から始まりネットニュースやテレビとメディアにより広まり、全国から問い合わせ。その対応に追われ、本来?の支援に手がまわりきらず、自分の中では消化不良?
もちろん、手を抜いたつもりはないけれど、利用者さんからしたら、声をかけづらかったり、相談しにくい状況ではあったと思う。
何より、私が利用者さんに関わることや、関係機関から依頼されていることに手がまわらず、所長から同僚から皆さんに仕事を振ってしまったこと。
私が作るべき文章を所長に、私が同行するはずの見学を同僚に、調理実習の買い物も同僚にお願い、住居支援者の手続きごとまで頼んでしまった。
福祉業では、そもそも突発的出来事はある前提で、さーて帰ろうかなんて準備してる矢先に「事故りました」やら「自転車パンクした」、「体調不良で病院連れてく」なんてことは想定内。生活を支えていれば、そのようなことは起こりうる話。
ただ、今回は私の想定外だった。
利用者さんの生活でもなく、利用者さんの家族でもなく、「商品」で私の抱えていた業務がストップ。それでも、私はどちらも全部自分で処理しようとしていた。
もはや、どうかしてる、としか言いようがない。
なぜなら、どちらも困るのは「私」ではないから。
困るのは利用者さんやお客様。もちろん、急に仕事を振られた職員もそう。そんなことにも気づかず、ただただ「自分でする」ことに必死。本当におバカ。
でも、マジメに必死ではあったんです。与えられた、頼ってもらえたことに応えたい、私がしなくちゃ。と。
けれども、結局木曜日には体が悲鳴をあげ、所長命令(基本命令とかする方ではないです)で、事務所でおとなしくするよう指示。商品作りもNG、文章作りもNG‥そして、所長自身と同僚たちに私の業務を割り振った。
この時点でもはや迷惑かけまくり、気づけよ!です。私は何かにとりつかれていたのか、自分にしかできないと思い上がっていたのか‥
で、木曜日私は午後ゆるりと支援をしただけでした。
けど、そんな私に誰一人文句を言わない。
職員も、なんなら利用者さんも。「大丈夫ですか?」と、逆に心配してくれる。この頃やっと気づきはじめる。
あぁ、私でないといけないことと、私でなくてもできるように手順を伝えること、分けてお願いできることはもっと早く余裕をもって伝えておくべきだった。と。
現時点で私でないといけないことでも、これも少しずつ誰かできる後任に指導していかないといけない。指導って、ちょっと偉そうだな、すみません。
経験や感性に基づいてやっているところもあるので、伝えるには難しい部分がありますが、そういうところも若い世代に伝えていかないと。
自分で言うのもなんですが、私はそれなりに「頼られる人」ではある、けれど私は誰かに「頼れる人」ではない。
つまり、誰かに何かで頼ることが「ど下手くそ」ということ。きっと私が頼って断る人は職場に居ない。たぶん利用者さんも。なら、なぜ頼ることができないのか?
私が自分でしないといけないと思い込んでいるから。これって「手段」であって「目的」じゃない。目的のために本当に私が、私だけがしないといけないのか?んなわけないんですよね。
そしてもう一つ、任せることへの不安。これって、めちゃ失礼な話。相手を信じきれてないてことだから。そうじゃない!と、私がいくら言っても、結局そういうこと。
でも、結局これが今回のようなことを引き起こしたのだから、私が抱える限界はきている。
ではどうするか?
簡単。「頼ること、託すこと、引き継ぐこと」を覚えること。自分のキャパを知り、お願いできることは信じて託す。自分じゃないといけないことを減らして行くこと。
そのために、どこのポイントを押さえて伝えるか、どこを私が組み立て仕組みを作ればいいのか。など、私が抜けてももう大丈夫!にすること。
私はいつまでも今の支援ができる訳ではないし、次のステージが待っている。やりたいこと、期待されてることが山のように次々と。
自分が作り上げてきたこと、惜しみ無く次世代に引き継ぎ、また新しいことで自分を発揮すればいい。それの繰り返し。
と、言うのは簡単なんだなぁ‥
何十年と染み付いた考えのクセ、そう簡単には変わらない。けど、変えようとするかしないかは自分次第。
ゆっくり、少しずつ、人を頼ること覚えよう。
長いな‥
しかも、レシピなして。
料理は次回。