大学時代の総合野外活動〜キャンプファイヤーを思い出す〜
担当教官、束原先生の言葉
今日、大学時代の総合野外活動とそのキャンプファイヤーを思い出すことがありました。
平成14年のことです。
翌年はスタッフもやりました。
平成14年は2002年とすぐ思い出せます。
理由は突発性難聴になった年で、それがサッカーワールドカップの日韓共催のロシア戦の次の日、6月11日、バスケットボールの授業のあとの教育心理学の授業と覚えているからです。
20歳です。
6月11日に突発性難聴になったので、夏休みの実習まであとわずか。
耳も万全でないので、参加するか迷っていたところ、友人の励ましもあって参加したのです。
今でもとってある授業資料
今でも授業資料がとってあります。
一生物です。
当時の担当教官、束原先生の言葉のメモも残っていました。
束原先生は20年間このプリントを使っている。
20年前、授業を受けた僕は今このプリント見返している。
40年物。
自然を生かした指導の必要
ここでは価値判断は行いませんが。
中学時代は高原学校でみんなでフォークダンス型でした。好きな子の前でオクラホマミキサーが止まりました。楽しかったです。
大学時代のキャンプファイヤーは厳粛な雰囲気の中で、人工的な演出はありませんでした。
エールマスターなど役割分担があり、起承転結があり、アニマルタイムにも配慮し、不思議な感じでした。感動したので翌年はスタッフとしてマネージメントしました。
総合野外活動は僕の中で生き続けています。
表紙の写真は、野外活動で助役(当時、村長や助役など役割を決めてキャンプを運営)をやったときの記念品。