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はじめにpart3

長い自己紹介だけど、まだ続けます


前回の続き


東京かっこいい、いいなーくらいにしか思ってなかったクソ坊主(この時もみあげだけブリーチされているので坊主ではない)は、お金もない、知名度もない、なんなら東京にコネもないが、少しづつ東京行きを考える


当時、可愛がってくれていた五日市(いつかいち)のヘアサロンの店長が独立するとゆう事を知った

その店長は若い頃東京へ行き、経験を積んで広島へ帰ってきた、いわゆる東京を知ってる人だった

その人が「東京のヘアサロンとは」を教えてくれた

クソ坊主はある程度そこで東京行きを決めていたと思う(まだ半信半疑)


その店長が独立し、新たな店長が入ってきた

これまた全然違うタイプの店長だった
少々苦手なタイプだ(ごめんね、岡さん)


少しやんちゃだったクソ坊主は、ニュー店長に反抗していた(理由もなく)
反抗期終わってるはずなのに、ヤンキーが見え隠れしてたのもある

この人、東京感ない!(ダサい!)って決めつけてたのかもしれない(今考えたらかなり失礼だ)

しかしその人は、東京の原宿にヘアサロンを構えている友人がいるから紹介してあげる、と言う



……「断る!!」(笑)


なぜか…


プライドが許さなかったからだ(思考が子供だ)


どこか人をバカにするクセがあったクソ坊主は、簡単に人の親切を断り、なんとかなるっしょ位の気持ちでまだ東京を視野に入れていた


そして、東京行け!とゆうタイミングなのかどうかわからないが、その時がやってくる


当時の五日市(いつかいち)のヘアサロンは駐車場があった

これまたかなり狭い

笑う程狭い

1台停めて「え?これもう1台いけるの?」という場所に3台停まっていた

なので、お客様の車を出したり、また入れ直したりするのは、ヘアサロンのスタッフがやっていた

(当時)あまり車の運転が得意ではないクソ坊主は、そこでお客様の車をぶつけてしまう


……最悪だ


まぁコツっといったくらいくらいなので、事故と言っても大した事ない程度だ

しかし相手がいた事故だったので、これまた笑えない状況だった

上京するのに状況は最悪だ(おもろくない)


こればかりは謝るしかない

クソ坊主は、当時府中にいたボスへ電話で連絡した

「お客様の車をぶつけてしまいました…すみません」


ボスは言った「お前!何やってくれてんだ!」(確かこんな感じだった気がする)

うん、まぁそうだよね
経営者なら怒って当然だ
当然の答えだ


だが、クソ坊主はそこで上京を決心する

「は?俺の心配しねぇ会社なんか辞めてやるよ」と

⬆これは心の声である⬆

まぁ勝手ではあったが、辞めるタイミングに結果的になる、とゆうかそうした


ぶつけた車は、part2でも出てきた腐れ縁である親友に板金をお願いし格安でやってもらった(その節はありがとう)

菓子折を持って、ニュー店長と謝りにお客様の所へ行った

謝るのは当たり前だが、東京へ行くとゆう事を決めたクソ坊主は、失礼ながら少しワクワクしていた


東京へ行く事を親にしか言わず、広島を出ていった

母ヨシミには「1ヶ月くらいで帰るけぇ心配せんでええよ」と伝えた

母は仕事だった為「気をつけんさいね」で別れた

父ケンジは当日は休みだったのか、仕事が遅かったのかわからないが、見送ってくれた

お金がある家ではなかったけど、父ケンジは「これ持ってけ…」と、ボソッと言い、7万円くれた

多分親はすぐ広島に帰って来るだろうと思っていただろう

まぁ自分もそう伝えたし…


ここから東京へ深夜バスで向かう

確か11時間くらいかかって広島からバスで上京した覚えがある

バスの中で映画が流れていたのを覚えているが、タイトルを忘れてしまった

タイトルは覚えていないが、B’zのエンディングで終わった記憶がある

「いつまでも手を繋いでいられるよな気がしていた…」

なんでもタイトルが出てこないのが自分の記憶力の無さを思い知らされる

東京駅に着いた頃はもう朝だった

ワクワクしか無かった

とゆうより、どうなるかなんて考えてなかった

行き当たりばったりだからだ

コネも野望も希望も目標もないクソ坊主が、これからただ新しいことするだけだ


当時、いち早く上京していた高校のロン毛の友人の家に軽く泊まらせて貰う事を前提に上京、とゆうか旅行


ロン毛にも「すぐ帰るから」と伝えたが結果居座る事になる(その節はほんとにお世話になりました)



ここからクソ坊主の東京の話になる
(この頃クソ坊主は卒業しているが、中身はクソ坊主である)

19歳の春だった

part4へ続く




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