伊勢湾、東北東の空を見る、伊藤裕季也を応援する
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス、伊藤裕季也選手について、記します。
お誕生日おめでとうございます。
私は、05月に横浜スタジアムに行きました。席は外野ビジターです。
その際の試合前練習で特に注目していた選手がいました。
背番号4。しかし、鵜飼航丞ではありません。
本当に、横浜DeNAの伊藤裕季也でした。内野でノックを受けていました。
横浜スタジアムの外野ビジターで中日のビジターユニホームを着用していたので、あからさまな応援はできません。
目で追っていてニコニコしていました。
さて、それはどうしてか。
理由は簡単。伊藤裕季也も私も、同じ三重県育ちだからです。
2014年のドラフトで三重高校→青山学院大学の加藤匠馬が中日からドラフト指名を受けて、私もグッズを買いました。
改めて、故郷の三重県で育った選手がプロ野球選手になることはとてもうれしいことだと感じました。
そんな中で、2018年のドラフト2位で横浜DeNAが指名したのが日大三高→立正大学の伊藤裕季也です。
調べてみると、育ちは四日市市。現にドラフト指名の際、四日市市長訪問記録が残っています。
伊藤裕季也はイケメンであるというコメントがあるように、私もその精悍と感じた表情に、大きな期待を持ったのでした。
2位指名の背景ですが、ファーストを守っていたホセ・ロペスが35歳になっていたことがひとつ。
あとはサードの宮崎敏郎のFA移籍に備える目的もあった、が私の見立てです。そのために右打ちの内野手を優先指名したということであればおかしくはないはずです。
私も三重県出身のプロ野球選手であれば特に応援したい。
伊藤裕季也が自身のデビュー戦でホームランを打ったのは私もうれしかったです(中日戦でしたが)。
しかし、ロペス引退後もレギュラーに定着できず、そのあと苦しいと感じる日々が続いていました。
2021年オフで宮崎敏郎がFA権行使せず残留。そして、最大の要素と言っていいのは、2020年ドラフト2位で牧秀悟が入団したことです。
牧も右打ちの内野手であり、獲得によって伊藤裕季也の競争は必至です。いや、下手したら代わりで考えているんじゃないかと思うものでした。
牧はルーキーイヤーからセカンドのポジションをつかみ、打率.314にホームラン22本でセ・リーグ新人特別賞を受賞。
後輩に抜かれてしまう、厳しい現実となりました。
サードは残留した宮崎が固いことに加えて、ファーストもネフタリ・ソトや佐野恵太が守る機会が増えました。
その観に行った日は横浜DeNAが大量リードで勝ったものの、伊藤裕季也は出ずじまいでした。
私は笑うことなく見ていました。
こうなると出てくる発想は同じです。
どうにも1軍で活躍する機会に恵まれないのであれば他球団行くしかないのか、と。
オールスターゲームが終わった07月28日(木)の午前中、トレンドワードに"伊藤裕季也"が出ました。
私は、ついにこの時が来たかと穏やかにスマートフォンの画面を見ました。
東北楽天ゴールデンイーグルス森原康平との交換トレードが成立したのです。
東北楽天所属の三重県出身選手は少ないので、その点は喜ばしいことです。
ただ、横浜DeNAにて宮崎敏郎を脅かすことはできず、牧秀悟に追い抜かれてしまい、競争に負けたことに違いはありません。
私の話になります。
トレード発表、東北楽天移籍後の08月12日(金)。私は三重県の実家に寄ったあと、伊藤裕季也が幼少期を過ごしたはずの近鉄四日市駅にいて、その近辺を歩きました。
共通の知人はおらず、インタビューをしたといったことはなく、私が歩いて街並みを見て回っただけです。
近鉄百貨店、ララスクエア(2021年以降トナリエという名前になりましたがこう表記します)、商店街、ヤマダ電機、ニトリ…
全部、私も行ったことあります。伊藤裕季也も行ったことがないとおかしい場所です。
私も部活動・仕事両方、先輩を脅かしたこともありますが後輩に抜かれてしまったこともあります。
年功序列がいいというわけではありませんけど後輩の方が上の地位に就く。不平不満を言うことはなく、淡々としていました。
ただ、人によっては多かれ少なかれ妬む気持ちが沸き上がってもおかしくはありません。
加えて部署異動も転職も経験はしていますが、伊藤裕季也の場合は自分の意志で居場所を選べたわけではなく、所属先組織都合での配置転換です。
移籍の際のインタビューは淡々としていましたが、この調子の延長線上で長く選手できるわけではありません。
今までの経験を活かす、リセットする、そのどちらかは本人次第ですが、喜んで移籍するわけではありません。
早くに目立った活躍をしないといけない。
2022年現在、もどかしい思いになっているのが正直な心境だと推察します。毎年必ず新しい選手が入団し毎年必ず誰かが退団するとても厳しいプロ野球。
東京、横浜と国道1号線でつながってはいますが、そちらに比べて流れる空気はゆるやかのように感じる三重県四日市市。
ここで大きく育つも、壁に当たっている。
私も壁に当たったことはあります。現在も、毎日寝て起きてだけでののんきな生活はできません。
そんな中で、悔いなくできるところまで強い気持ちで戦い抜いてほしい。
時には故郷を思い出して笑ってください(本人は四日市の街ををどう思っているかわかりませんが)。
本当は横浜DeNAベイスターズの選手としてこの文章を出すつもりでしたが、トレードで所属は東北楽天ゴールデンイーグルスになっています。
しかし、それでも、私は自宅にある横浜DeNA #4のユニホームを手放すことはありません。
これからも、同郷のいちプロ野球選手として応援するに!!
と、鈴鹿山脈からの風を浴びながら伊勢湾の向こうへ続く夏空を見たあと、とんてき食べて改めて思ったのでした。
ありがとうございました。