2010年03月03日(水)からジントシオの新しい日々が始まった
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、作曲家のジントシオさんについて、記します。
2023年03月04日(土)より、プロ野球千葉ロッテマリーンズ主催試合での声出し応援が再開になります。加えて、03月18日(土)からはトランペットの音色も戻ってきます。
私は2022年、ZOZOマリンスタジアムに観に行きました。千葉ロッテの攻撃時、ライトスタンドから声を出せず手拍子で応援しているシーンを見ていたのですが、正直物足りなさがありました。
やっと戻ってくるといううれしさがありました。
その2022年09月。連休もあり、いつものように日経新聞を読んでいた私は、急に動きが止まりました。
21日(水)44面(文化面)の上部に"野球"の文字が。えっスポーツ面じゃないのになんで!?と思って読んだら、
『野球応援 歌っ飛ばせ!』
という私が大好きなタイトルが載っており、しかも書いたのはそのジントシオさんです。
こんなことがあるんだ。
ジントシオさん。2010年11月に初めてその名前を知りました。
もともと2009年に千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督が退任したのですが、それと前後してリードする応援体制も刷新されました。
2010年になり、西村徳文新監督の千葉マリンスタジアム初戦が03月03日(水)の横浜戦。その試合からライトスタンドに立っていたのがジントシオさんです。
新応援団の団長に就任したのでした。
同年の日本シリーズは、セ・リーグ優勝の中日に対してパ・リーグは3位の千葉ロッテです。
もともと、千葉ロッテと言えば応援スタイルが独特で、8小節の歌を歌う+「かっとばせー〇〇」のオーソドックスな野球応援スタイルより、
「〇〇ヒット!」とジャンプしながら応援するスタイルが多く、サッカー風野球応援のものが多い印象は持っていました。
オーソドックスな野球応援がこちら。プロ野球中日ドラゴンズ大野奨太選手を例にします。
一方で千葉ロッテ独特のものは伊志嶺翔大選手で使われていたものを例にします。
ただ、千葉ロッテにもオーソドックスなタイプの曲はあります(田村龍弘選手など)。
セ・リーグはほとんどがこのオーソドックスな応援歌です。
そんな中で見た2010年の日本シリーズ。千葉ロッテも日本一がかかっており、外野席のチケットが取れたハァンのみなさま(わざとこの表現にしています)は気合十分。ものすごい大声で応援してきました。
案の定、その魅力に取りつかれてしまう中日関係者、何人もいたはずです。
特に『チャンステーマ1』はチャンステーマが02曲しかなかった時期なのでこれがメインで流れており、さらに岡田幸文がこの曲を背に日本一を大きく近づけるタイムリースリーベースを放ったこともあり、強烈なインパクトがあったかと考えます。
それで、私も翌年から千葉ロッテ戦何試合か観に行きました。それも千葉ロッテ側の外野で観て、応援歌歌ってジャンプして。
カラオケ代わりにもなっていたというのが正直なところです(もちろんちゃんと応援団のリードに沿って歌っていました)。
そのことから、やはり千葉ロッテの応援スタイルは非日常のスポーツエンターテイメントだと言えます。
1995年のボビー・バレンタイン監督就任以降はプロ野球の応援につきもののメガホンを使わず、他のスポーツの要素も取り入れる路線になったのですが、この少数派スタイルを貫いていってほしいです。
12球団あるんだから独自色が出ている球団がある方が自然です。しかも、その色が一定数は受け入れられています。
千葉ロッテ戦の外野席の光景がその証です。
さて、そのジントシオさんの応援歌を聞いていると、特に千葉ロッテ時代ものはこの言葉が多用されていたように感じます。
「今こそ」
です。
竹原直隆(前奏)
「期待の大砲 今こそヒーロー 竹原 竹原 さあ行こうぜ」
井口資仁
「6番背負った 男の心意気 今こそ見せろ 燃えろよ井口」
根本俊一
「ラララ… 俺たちとこのチームでいつまでも 根元 今こそ見せてくれ 勝負に賭ける想いを」
鈴木大地
「今こそ羽ばたけ 遙かなる空へ 風になれ大地 ひたむきに進め」
チャンステーマ3
「レッツゴー オイ! オイ! ○○!
オーオーオーオーオーオー オーオーオーオーオー 燃え上がれ 燃え上がれ 勝利をつかみとれ
○○! 攻めろ今こそ」
例をいくつか挙げました。ただ、バッターの応援歌であり、バッターボックスに立つという限られた時間内での一瞬の勝負に対しての"今こそ"なので不自然ではありません。
歌詞の特徴としては"今こそ"だと思っています。
そもそも、ジントシオさんは千葉ロッテの専門家と言うよりはプロ野球の応援の専門家という表現の方がしっくりきます。
その日経新聞の記事を見ると、東京都小平市育ちで西武球場によく行っていたジントシオさんは1993年に応援団に入団し、プロ野球の応援活動を始めます。
その年齢が13歳なので、本当にプロ野球大好きっ子だったのでしょう。
ただ、それが西武ライオンズではありません。日本ハムファイターズなのです。03年間活動したあと1996年から千葉ロッテマリーンズ応援団に移籍。
一時期の韓国留学を経て2004年ごろには再度千葉ロッテ応援団活動を行っています。
再び数年離れ、2010年~2015年に千葉ロッテの応援団に戻り応援団長を務めます。
2018年から再度NPBの応援団活動に復帰しますが、東北楽天ゴールデンイーグルスです。NPBのパ・リーグを転々としている形です。
東北楽天でも応援歌制作に携わり、04年在籍し引退となりました。
現在は作曲家の肩書でプロ野球以外にも携わっています。
最後に
2014年に中日が応援団員を募集した際の応募資格に、"中日ドラゴンズを愛してくださっている方。"という言葉がありました。しかも冒頭にです。
これは当然のことです。中日ファンの動作を統括、いえ、中日ファンに動作を指示するわけですから、実は他球団の方が好きですでは納得しがたいのが自然です。
そのため、応援団を移籍することに対していろいろな見方があるものですが、私は好意的に捉えています。
実際、ジントシオさんは試合中はそのチームのことを第一に考えています。
そのエピソードとして、2014年09月26日(金)QVCマリンフィールドでの北海道日本ハムファイターズ戦があります。
稲葉篤紀がバッターボックスに入ると、一部千葉ロッテファンも一緒に稲葉ジャンプを始めたことがありました。
このことに対してジントシオさんは怒っていたようです。球団公認の応援団長という立場上、これを見ているだけというのも変な話です。
ところが、試合が終わるとむしろ他球団応援団在籍が活きていたようにすら感じます。
勝負が終わった後の余興であれば話は別。その試合中のひとときは怒っていたジントシオさんも晴れやかな表情になり、千葉ロッテ応援団が稲葉篤紀の応援歌を演奏し、対する北海道日本ハム応援団が里崎智也の応援歌を演奏します。
オールスターゲームなどで応援団が一緒になることはありますが、こういうこともやりやすくなるよな、と感じました。
現在ではプロ野球の応援に収まらないジントシオさん。今後の活躍にも期待ができます。
また、ジントシオさん以外にも1球団に収まらない才能ある応援団員の方が現れることに期待し、プロ野球を見ていきます。
大きな声で応援できることも日本プロ野球の大きな魅力です。
ありがとうございました。