平成を彩り、令和でも輝き続ける西野カナさん
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、noteを始めてから初の18日。西野カナさんについて、記します。三重県の誇りです。今日は、三重県民の日です。
今後、曲についての単体記事を出すこともあると思いますが、今回はきっかけと全体的なことがテーマです。
2019年02月03日(日)
平成もあと03ヶ月を切った日曜日のこの日、私は西野カナ Kana Nishino Love Collection Live 2019で、横浜アリーナにいました。
2018年10月24日(水)に、西野家先行でチケットを当てた時は、まさか、これが最終公演、“ありがとう”の文字が出ていることになるとは、想像もつきませんでした。
前月、突然の活動休止発表…
元号が平成でなくなるのはわかっていましたが、20歳代で聴きに聴いた西野カナが活動休止を発表したのは、本当に新しい時代に移行することを実感する一方、無邪気に遊び回れる色彩が薄くなると言いますか…若かりし日々が終わるかのような、残酷な現実を見たようにも思いました。
ただ、西野カナさん本人に、人生の新しいステージへという思いがあったからですね。1995年04月、三重県。私と同じタイミングで、ランドセルを背負い始めたはずです。
ラストライブですが、楽しかったですよ!
『Mama』には、思わず泣いてしまいましたし。
「またねー!」
の気丈な感じには、私も穏やかな笑顔でいることができました。
しかし…
ライブ帰り御用達、ひかり535号で新横浜から帰ったのですが、車内では放心状態。ちょっとLINEしていたぐらいで、頭に何も入ってこないのです。
※余談ですが、私のLINEのステータスメッセージは、“魅せろ 震わせろ”にしていました
それから01年以上が経ち、西野家のサービスも終了してしまいましたが、今でも、帰り道ではウォークマンに入れている西野カナのアルバムをランダム再生することがほとんどです。
正直最初はそうでもなかった
同じ県なんだけどなんだかなぁ
そういう話をすると怒られますのでやめますけど、結局今では間違いなく大好きだと思います(笑)
本当に、デビューした2008年当時から名前と曲は知っていましたけど、どっぷりになったのは、2009年。
実家で中京テレビを観ていて、『遠くても』が流れていました。
あ、いい!
これを大学のPCルームでYouTubeで流しながらレポート書いたりしていまして…
『もっと…』で、完全に不動の位置付けになりました。ずっと応援しよう。アイラブユー!!
『会いたくて 会いたくて』なんか、恋する人間のリアルをこう描ける才能はなかなかない、と感嘆したものです。
その後、就活や就職があり、ファンクラブ入会&初回ライブは2012年になりましたが、ライブは10回以上行けましたし、アルバムCDは13枚全部初回限定版を持っています。
10年応援し聴き続けてきた点で、本当にいいと思ったからなのだ、とおわかりいただけると思います。
他の人からこう思われたいから、ではありません。これは信念を持っています。
これからも当分の間は、楽曲から、パワーをもたらしてくれる存在だと信じています。
最後に、歌詞の中から、頭の片隅に常に置いているフレーズを記します。
『Sweet Dreams』
「夜が来るのは星が
輝くためShine on me
夜がまた明けるのは
新しい自分のために」
深くて素晴らしいと思っており、仕事においても、スピーチでこれを参考に話したことがあります。
2020年04月18日(土)、はっきりと分厚い雲が立ち込めています。雷に豪雨が伴っていると言っても過言でないぐらい、目の前は暗くなっており、まるで夜の状態です。暗くて、希望を見いだすのは相当難しい状態かと思います。
私も、少なからず、強い向かい風を受けています。
そんな中、ピンチをチャンスに変えることができた者が生き残りやすくなる。
その概念を、2013年には既に楽曲としていたのが、私の同郷同学年のスーパースター、西野カナさんです。
いつか夜が明けると信じます。
キミに出会えてよかった
ありがとうございました。