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前を向いて打ち続けるビシエドを見逃さなかった森繁和

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、中日ドラゴンズダヤン・ビシエド選手について、記します。
お誕生日おめでとうございます。

日本テレビ系のYouTubeチャンネル『DRAMATIC BASEBALL』のダヤン・ビシエドの動画を見ました。

見終えての感想です。
見ている人は見ている。この言葉に尽きます。

故・野村克也も似たような経験をしています。ヤクルト球団の相馬和夫社長が自宅を訪れてきて、監督就任要請を受けたというものでした。
しかしなぜ私なんだ、ずっとパ・リーグにしかいなかったのに、セ・リーグのヤクルトスワローズが私にオファー出すんだ?と疑問もありました。
理由を聞くと、野村克也の著作やテレビ解説を見て、ぜひ監督を務めてほしいと思ったと相馬社長が答えたのです。
それを聞き、

「見てくれている人はいるんだ」

とうれしく思ったとのこと。
そうしてヤクルトスワローズ野村克也監督が誕生。チームを日本一に導いた功績は大きく、OB戦に選手兼監督として出場するほどでした。

これも、森繁和がビシエドのMLBでのデータ上の成績や自由契約になったという事実だけでなく、実際に打撃練習を見て日本のピッチャーにも合いそうだと感じ、かつ出場機会を求めている仮説を立て獲得レースに参戦。アメリカ合衆国フロリダ州の自宅を訪れてビシエドに交渉します。
これが大きな決め手となり、シカゴ・ホワイトソックスでレギュラーを務めたことがあるビシエドも、来日を決意します。
ビシエド自身も、実際に自分が仕事をしているシーンを見てもらったうえでのオファーが出ている。大きな要素であっただろうと推察します。

来日前年の2015年には、ビシエドはMLBのチームから戦力外通告を数回受けています。このつらい時期に、憮然とした態度で取り組んでいたら、森繁和もビシエドは日本向きだという判断をできなかったでしょう。

確かにビシエドは中日ドラゴンズの4番ファーストとして固定されますが、MLBでレギュラーだった実力をそのまま発揮しNPBで段違いの成績を収めていたわけではなく、次第に日本のピッチャーに苦慮。2017年にはデッドボールを受け骨折し、出場できなくなってしまったこともありました。
ただ、動画では触れられていませんが、2016年開幕したてのころはとんでもない成績でした。京セラドーム大阪での3試合で12打数08安打03本。
阪神ファンが妙に機嫌よかったのを覚えています(笑)
とはいえ、次第にしぼんでいってしまいました。

動画通りで、2018年はNPBに適応し活躍したと言える好成績でした。
512打数178安打、打率.348で首位打者獲得です。

当初、希望して着用した背番号66は、MLB通算本塁打数の66と一致することから、MLBへの未練があるのではないかという見立てもありました。
実際、2016年開幕当初の大活躍で、MLBスカウトも黙っていなかったようです。

しかし、ビシエドは動画の07:00で何と言ったでしょうか。

「ドラゴンズで野球人生を終えたい」

…心は名古屋、や、ドラゴンズブルーの血が流れている、と言って横浜DeNAや阪神に移籍した人もいましたが(笑)、この言葉を信じたいと思います。

アメリカでうまくいかなかったときにも前を向いて自身の仕事に取り組んでいたこと。そしてそれを見ていた森繁和、という人がいたこと。

さて、強い決意のもと来日したビシエドは周囲とうまくできたことが大きく、2022年シーズン現在も中日ドラゴンズの選手です。
どのようなエピソードがあったのでしょうか。

すっかり気に入った日本

しかし、日本はアジアの国であり、今までとは勝手が違います。
ところが、初年度の2016年、既にアンダーソン・エルナンデス、ラウル・バルデスといったスペイン語を話す選手がすでに在籍していました。
これはかなり大きい。自分の意志を通訳なしで伝えられる人がいるわけですから。
私たちが海外旅行して、家族以外で日本語をそのまま話せる人はいると安心感は大きくなります。

さらに…ビシエドに強い追い風が吹きます。
同年07月、中日ドラゴンズの巡回コーチに、オマール・リナレスが着任します。

リナレスは2002年~2004年に中日ドラゴンズの選手としても活躍。12年ぶりに復帰したのでした。

リナレスはキューバ代表の3番も務めるなど、国内リーグの成績は球史に残る一流選手。幼き頃のビシエドが憧れた選手でした。
例えるならば、野手がMLBのチームに移籍したところ、開幕後にイチローがそのチームの打撃コーチに就任するようなものです。
リナレスはその後もずっと中日の巡回コーチを務め、通訳やスカウトも担当するようになりました。

2021年には福留孝介が中日に復帰しますが、実は福留とビシエドは初対面ではありませんでした。
2012年、MLB・シカゴホワイトソックスでチームメイトでした。
09年ぶりに国こそ異なるも同じチームでプレーすることとなりました。関係も良好であることがうかがえました。

また、2019年12月にはBリーグ・シーホース三河  VS. 川崎ブレイブサンダースの始球式に登場。観客席は大きく沸きました。

他にも、ビシエドは外車も選択できるほどの給料をもらっていますが、日本が誇るトヨタ車に乗り、通勤しているようです。

2021年、2022年は01月中旬には来日してキャンプの準備をしています。日本での職住環境が気に入っていないとこういうことはなかなかできません。

最後に

見てくれている人がいるかもしれないと言っても、見てくれる成果・能力がそもそもないといけませんし、それを信じて行動できるかどうか。
ビシエドは行動した。それゆえの結果です。
少しでも長く中日ドラゴンズでプレーすることを、心から願っています。

ありがとうございました。

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コブ山田(Cob  Yamada)
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