見出し画像

Dear Shota 2021

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、中日ドラゴンズの大野奨太選手について、記します。

お誕生日おめでとうございます。


以前お知らせいたしましたように、私は2020年12月31日(木)と2021年01月01日(金)では、所属組織体が違う状態でした。
人生で初めて退職届を出して移籍。具体的な名前はここでは申し上げられませんが、大きな変化を実感することとなりました。

特に、新卒で就職した企業の影響は大きいです。社会人としての基礎を作っていく時期に、その環境での雰囲気が前提になりがちです。一方、2社目以降は新卒就職企業の前提があり、どうしてもそこと比較することが多くなります。

私が前職在職時だった2017年の春ごろに思っていたことは、

「特に転職したいような動機はないが、この先はわからない」

というものでした。現在やっている仕事も適性がないわけではないし、給料や住環境に大きな不満があるわけでもない。
ただ、隣の芝は青いではないが他の職場環境はどうなのだろうか。自分は他社でも通用するのだろうかといった思いはありました。
そうは言ってもアメリカ旅行行きたいしなー、お金貯めたいなーなどと言って結局転職は考えず踏み切りませんでした。

2017年11月09日(木)、私は目を丸くしました。
プロ野球 北海道日本ハムファイターズ 大野奨太捕手が海外FA権を行使するというリリースで、中日ドラゴンズも獲得に名乗りを上げるニュースもありました。

同年にはWBCにも出場していた選手!その頃の中日は谷繁が引退しており、ポストシーズンなどの緊迫した場面を経験している選手が少なかったのです。かつ、北海道日本ハムは2014年~2016年と03年連続クライマックスシリーズに進出している一方、中日ドラゴンズは2012年を最後にずっとBクラスであり、外部から補強は絶対に必要だと思っていました。
大野奨太は勝ち方を知っている。

そうして01か月後に契約合意のニュースが出たときは、私は満面の笑みでした。ガッツポーズして飛び跳ねたような記憶もあります。

とともに、心が揺さぶられたのも事実です。
移籍決断にあたり、本心はどのように思っているか、北海道日本ハム球団とどのような契約交渉をしたのかはわかりません。中日に移籍することは、同時に、北海道日本ハムのキャプテンと選手会長を返上することも意味します。
温かいファンが多い北海道からも離れなければなりませんが、大野奨太選手の選択は、名古屋に拠点を移して今後のプロ野球選手としてのキャリアを作っていくことでした。
かっこよさに拍車がかかりました。


その後、私も、03年後には自身がもっと携わりたいと思える分野が見つかり、後悔したくないとともに環境を変えたい思いから転職を決めるに至りました。
大野奨太選手が移籍を決断したこととは同列に語れないものですが、2つ目のチームに所属することとなったのです。


私は、事前にこの記事を読んでいました。

知らないってもったいない…。
日本国内には規模の大小を含め、多くの企業があります。全部違う人たちが構成しており、その分だけ違う世界が広がっている。
ひとつの企業で満足できて生きていくのも正解です。複数知るのも正解です。深さと広さ、それを社会情勢も見ながら、どちらをとるかです。

この記事の中にあるインタビューで、大野奨太選手の回答を引用しますと、

「練習内容や流れなど、球団のシステムがまったく違う中、新鮮さを感じながらやれています。 」

新鮮さというプラスの言葉が出てきているのです。
裏返せば戸惑いですが、大野奨太選手は新鮮だと言います。

私も、移籍先企業はいろいろと勝手が違い、慣れるのにどうしても少なからず時間を要するものと思います。
でも、それも正解なのです。自分が知らなかっただけ。
新鮮だ、という心持ちを示してくれた大野奨太選手。結果を出せなかったら厳しい目で見られるFA移籍をして、かつてファンだった中日ドラゴンズに移籍。もともと北海道日本ハムの選手時代から好意的でしたが、絶対応援すると決めていた私は、何度も元気づけられました。


私は2020年に移籍を決めた一方、大野奨太選手はプロ入り初の1軍出場なしという年になりました。
確かに木下拓哉やアリエル・マルティネスが好調だったのも事実ですが、その点を差し引いてもショックだったのが本音です。
新鮮さを感じて目を輝かせながら日々躍動する大野奨太選手、背番号27。3年後には表舞台で輝くことなく1年経ってしまうとは、本当に厳しい世界です。

2021年という年は、私もあまりにも期待外れの成果しか出せなければ退場になるかもしれないですが、大野奨太選手も、期するものはとても強いかと思います。

私は2016年日本シリーズも、2017年WBCも、そして2019年令和新時代の初日も100mほどの距離で大野奨太選手を見ていました。
自身が積み重ねた成果と信頼次第で新しい道を作ることもできる…そうして幼少期の夢をかなえたことを示してくれた大野奨太選手。

私は2021年も変わらず、自宅に背番号27のユニホームを飾り続けて、仕事上で叶えたい夢に近づく自身へのパワーにするとともに、強肩武器に強気で攻め、中日ドラゴンズ1軍に勝利をもたらす姿をもう一度見たい。
究極の理想は、セ・リーグ優勝→日本一を決め、もう一度大野雄大と抱き合って更なる喜びを爆発させてください!見れる日を楽しみに待っています。

ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

コブ山田(Cob  Yamada)
サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。