文章を書くことで自分自身が規定される
長らく休止してしまっていたnoteですが、ぼちぼち再開させようと思います。
以前は毎日書いている時もあったけれど、今の僕には多分それをできるような体力がないので、週に一回とか、そんなペースで再開できればと思っています。
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近況報告をすると、最近はちょっと前までは大変な時期が続いていました。どう大変だったかまで書くとややこしくなるのでそれは割愛しますが、具体的には、一切文章を書けない日々が続いておりました。
それはとてもストレスフルで、最悪と言っても差し支えないような日々でした。
僕のようなタイプの人間は、文章を書かない日々が続くと、途端にストレスが溜まってしまいます。元より、文章を書くことで自分自身が規定されていくことが好きなのです。
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ではなぜ、文章を書くことで自分自身が規定されていくのか。
その因果関係は、詳しくは僕にはよくわかりません。
でもちょっと考えてみると……。文章を書くということは、自分自身の内部へと降りていく作業です。文章を書いている間は、自分の心の声がたくさん聞こえてきます。
そうして聞こえた心の声を、丁寧に文章に落とし込んでいく。そういう作業によって、自分自身のことをよりシャープに見つめられるようになるのだと思います。
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自分の人生に悩んでしまった時。これから何をしたらいいのか分からなくなった時。そんな時には、やっぱり文章を書かないといけないのかもしれません。
分からないから書かない、のではなく、分からないからこそ、書く。書くことでしか得られない何かがきっとあって、その何かが、文章を書いている間にキラキラと輝き始めます。
光——。
そう。文章を書くと、光が目に入ってくるのです。
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自分のペースで、自分なりのやり方で、noteは続けていきます。
つくづくnoteという場所があって良かったなぁと思います。ここがある限り、人生の言わば駆け込み寺のような場所として、少なくとも僕にとっては機能してくれます。
それではまた!