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写真と文章は似ている

旅をしながら、よく写真を撮っている。

一眼レフでパシャリと、シャッターを切る。シャッターを押す瞬間はとても気持ちいい。

写真の出来栄えは、それぞれだ。「なんか微妙だな」と感じるときもあるし、「いいぞ!」と思うときもある。

しかし、「いいぞ!」と思うか否かは、実は、ファインダーを覗く前から、勝負がついている。

「世界をこう切り取ったら面白いのではないか」。

まずそういう優れたアイデアがあり、それからシャッターを切ると、いい写真になりやすい。

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写真と文章は似ている。

一番似ているのは、「この世界をどう切り取るか」という点である。

文章は「モノをどう見ているか」が全てだ。あるモノを見て、人と同じ発想しかできないのであれば、面白い文章は書けない。

同様に、写真も、ただシャッターを押すだけでは凡庸な写真になる。面白い、あるいは美しい構図を見つけ出し、最適なタイミングでシャッターを押す必要がある。

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人はみな、同じモノを見ている。同じモノを見ているのに、おそらくそれの「見方」は、人の数だけある。

多くの一般人の「見方」は、わりと似ている。同じモノを見ているのだから、ある程度は似てくるのは当然だろう。

だから、作家や写真家と言われる人間は、違う発想で、まったく違った見方をすることが求められる。その見方が「独自の視点」とか、「オリジナリティ」とか言われるものである。

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作家と写真家と書いたが、アーティストは全て、そうなのかもしれない。画家であれ、音楽家であれ、「世界をどう見ているか」が重要なポイントなのだ。

では「見方」は、生まれつきの才能なのだろうか? 努力で、後天的に手に入れられるものなのだろうか?

それはわからない。

しかし重要なのは、材料は、皆に平等に配られているということだ。この「世界」こそが、材料なのだ。

アーティストとなるには、その材料を手にとって、仔細に眺め、分析し、壊したり再構築したりしながら、格闘し続けなくてはならないのである。


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コボ・コボボ
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