アートがアートであるための唯一の条件
僕がまだ小学生だった頃、母が見せてくれた一冊の本があった。
抽象絵画の画家の、作品集だった。
それは小学生の僕にとっては、「こんなの僕にも描けるんじゃないか」と半ば本気で思ってしまうくらい、よくわからない作品が並んでいた。
しかし、パラパラと眺めていると、ひとつだけ、僕の心を捉えてやまない作品に出会ってしまった。
ただの四角形が描かれた作品だ。
しかし、その四角形が少しゆらぎ、質感をともない、平面をただよっている。微妙な感じで、夢に出てきそうな、配色。
10分くらいその絵画の写真を見ていたように思う。そして、大人になった今となっても、未だに僕の心の中に存在している。
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アートをアートたらしめている要素はなんだろう?
その頃から、よく考えるようになった。
大学生になると美術館に行くようになったし、大人になると、それほど高価ではない作品を買ったりもした。
アートをアートたらしめている要素はなんだろう?
最近、ようやくその一つの答えのようなものが見つかったように思う。
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アートにはハウツーがない。
つまり、アートはオリジナルなものであり、それは誰かから教わることができない。
それが、アートがアートである唯一の条件である。
自分の中から、抑えきれず溢れ出てきたり、苦しんで苦しんでようやく掴み取った一筋の光に、小さな「オリジナリティ」の芽生えがある。
それを鑑賞者が感じ取った時に、心が動くのだと思う。
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アーティスト志望者や、作家志望者は、常にこう思う。
「オリジナリティというものはやって作ればいいのだろう?」
しかし、オリジナリティを生み出すハウツーは存在しないのだ。
自分自身と、徹底的に向き合うしかない。
もがけ。苦しめ。探せ。
彼らに対して、僕らはそういうメッセージを送ることしかできない。
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アーティストは文字通り、人生をかけて作品を作っている。
苦しみの末に生み出された、オリジナリティの溢れる作品は、人の心を動かす。
それが、たった一つの長方形であったとしても。
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