好きも嫌いも...
久々に目が覚める言葉をきいた。
それは、とある授業で班分けをしていたときのこと。
班ごとにテーマがあって、それを調べてくるのがグループワークの目標である。
例えばざっくり示すとこんな感じ。
1.メンタルヘルス
2.喫煙
3.心筋梗塞
4.糖尿病
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(あくまで例です)
早い者順で、好きなテーマに立候補するシステムである。
その立候補者を先生が集いだしたときに、Tちゃんが真っ先に手を挙げた。また、K氏も同様に。
K氏はそのテーマをどうしてもやりたくて、真っ先に手を挙げたらしい。うん、それならわかる。
でも、ここで、Tちゃんは衝撃の一言をはなった。
「これで、私のことが嫌な人は来ない(笑)」
呆気にとられた。かっこいいぞ、Tちゃん。
わたしは彼女のこの一連の言動の背景に
「自分のことを嫌ってる人がいたって堂々としてていいんだ!!」
という強い信念に感動したんだと思う。
全ての人に好かれることは難しい。不可能に近いかもしれない。
そうわかってるのに、ついつい「好かれてない」「嫌いだと思われる」ってことを感じとると凹んだり哀しくなってしまう。
わたしのどこをなおせば良いんだろうって想いに囚われて、目の前のルーティンに手がつかなくなっちゃったりとか。
嫌われる/嫌う瞬間って、確かに悪いことした/されたなぁって時もあれば、必ずしもそうでなかったりする。
だから、誰からも嫌われないように動くのって、道徳的に正しく在るというのとは違ってくる。むしろ目の前の人達の期待に、過剰適応してる状態なのかもしれない。
全ての人の期待を満たすような生き方などできない。
たとえあなたに悪気がなくても、目の前の誰かを期待を満たせないときなんて、多かれ少なかれ誰にもあるはずだから。
では、全ての人に好かれないとしたとき、私達は人間関係においてなにを心掛ければいいんだろう。
今のところ、「距離の調整」だと思ってる。
たとえば、ひどい言葉で愚痴ばかり言ってる人がいるとする。
その人は別に悪気なく言ってるだけなんだろうけど、聞いてるこちら側は暗い気持ちになってどうも疲れてしまう。
すると、相手のことをどうしても苦手だなぁと感じてしまう。
そんなとき、相手を嫌いにならないで済むまで距離をとること。
毎日愚痴をきくのは辛すぎるけれど、月に一回久しぶりに会って、1時間くらい聴くのならまだいけるかもしれない。あるいは年に1度ならいけるかも?
または、もう一人誰か一緒にその場にいてもらうようにしたらまだ耐えることができるかもしれない。あるいはLINEのテキストでグループなら気にならない?
こんなふうに、好き嫌いって距離の問題なんだ。わたしはそう思ってる。
まとめると...
Tちゃんが、真っ先にとある班に立候補したあとに「これで、私のことが嫌な人は来ない(笑)」
と宣言したことの凄さって、
1.全ての人に好かれることなんてない、そんな必要はない
2.好き嫌いが発生する人間関係は距離で対処しよう(Tちゃんを苦手な人はTちゃんのグループに入らないことで距離をとってくれるから)
を体現してたからなんじゃないかな。