クラスメイト
クラスに誰とも交わろうとしない青年がいた。
頑なに心を閉ざしているのか、あるいはそもそも違う精神世界を生きているのか、彼と場を同じくしてても誰も心を通わすことができず途方にくれていた。
彼と同じ実習班になったとき、たまたま二人で一緒にPCR(ポリメラーゼ チェーン リアクション)をすることになった。
PCRというのは遺伝子工学の一手法で、DNA断片を選択的にたくさん増やすこと...とされている。
そして、なんとなく私らしい結果なんだけど、我々はPCRに失敗し、意図したDNA断片は全く増えていなかった。なんなら、DNAの断片さえ見つからなかった(電気泳動して何も動かなかったんだな、これが)。
それ以外にも失敗続きの実習班だったので、我々が減点されていくのを周りの班が少し楽しそうにニヤニヤみていたのを覚えている。今度は何をやらかしたんだーって。
けれど、私たちの失敗を前に他のミスは風化したような印象を受けた。というのも、PCRのやり直しは、元々18時に終わるはずの実験を22:30まで伸ばしたからだ。
班に緊張が走る。一体なにが原因でPCRばダメだったんだ?
先生の助手にもストレスが積もる。生徒の再実験に付き合うのは主に助手だった。
イライラした助手に連れられて、その彼とわたしはPCRのやり直しをしていた。
失敗や窮地というのは、人の心の鎖を緩めるんだろうか。
「やっちまったねー」
って先生に聞こえないように囁いたら、彼は俯いていたままだったけれど
「助手の先生たち、今晩はタバコ一箱じゃ足りないんじゃない?お詫びに献上する?(彼らはヘビースモーカーだった)」
と冗談をいっていたら初めてニヤッと笑った顔を見せた。
その後他の人から聞いた話だと、彼はそもそも医学部になんか(なんかというのはその人がそう表現していた)来たくなかったらしい。本当は京都大学の農学部でやりたいことがあったのだと。
けれど両親の強い希望で医学部に進学せざるを得なかった。
そら、やりたくもないことやってたら辛いわなぁ〜とおもいながら、
「やりたくないこともきちんとやるのが仕事」という会社員時代の上司の言葉と、なんとなく農学部に進んで殆ど農学以外を学んでいた自分の大学時代を思い出していた。
きっと世の中には「是が非でも医学部に行け!」という大人は少なからずいるのかもしれない。特にその大人が医学部をでて、そこで得ているものに満足していたり、家業として医師業を代々営んでいたりする場合。
そしてまた、世の中には「是が非でも農学部に行け!」という大人はあまり多くないんじゃないだろうか。わたしだってもし自分が化学より世界史が得意なら、迷わず教育学部や文学部を受けてたに違いない。
農学部時代にはあまり感じなかった、目に見えない束縛を、クラスメイトにごくたまに感じる瞬間があるのは、そういったところなんだろうか。
親が、先生が、あるいは社会が、「医学部は素晴らしい」という。それは自分に対して向けられた言葉ではなく、一般論として存在するものなんだろうけど。
けれど、自分のことをよくわかった誰か、あるいは凄腕の占い師が、「あなたにとって医学部は素晴らしい場所になる!」というのは、また違った意味を帯びてくる。これは一般論みたいに公に共有される物語ではなくて、あなただけのとても個人的な物語でうける導きになるから。
わたしは学生から会社員を終えるまで、ずっと一般論として素晴らしくて正しい道を歩んできた。それは自分が処世のために意識的に選択したことだし、それなりにうまくやれてたように思う。
でもどこかで、まるでわるい慢性疾患にかかったかのように、もしくは長引いた感染症から生還したように、もっと個人的な物語に着目するようになった。
一般論としては◯◯は良い。
ではわたしにとってはどんな意味があるのか?
一般論としては◯◯すべきだ。
ではわたしがわたしの人生の中で◯◯をすることに、わたしはどんな価値を見出すだろうか?
個人的な物語を生きだすと、妙に「わたし」や「自分」という言葉が増えて、自己愛的に感じられて戸惑うこともあった。
それでも、まずはそこから始めるしかなかった。「わたし」から始めないといけなかった。そしていつか「わたし」としてこの世界を退場していく。
そのクラスメイトは全身でなにかを拒否し、また全身でなにかを掴もうとしてたのかもしれない。もしくはどっちつかずに宙ぶらりんな気持ちでいたのかもしれない。本当のところは本人にしかわからない。
彼が放っていた、他を寄せ付けないオーラのようなものを度々思い出しては、自分の中の反抗的ななにか(何に対して反抗的なのだろう)が浮かび上がる。