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三食昼寝付きデザート付き
我が家の距離感のはなし。
わたしは母子家庭の一人っ子で、
父はだいぶ昔、5歳の時に亡くなった。
親戚たちには沢山助けられてきたが、
母ひとり子ひとりのふたり家族だ。
字面がちょっと冷たい感じになっちゃうけれど、
母は、とことん自分を犠牲にして
全力で仕事に家事に奮闘し、
逞しすぎるおとうさん兼おかあさんをしてくれていた。
いやはや格好良い。
子供の時は気付けてなかったけれど、
本当にすごい母だと思う。
そんな母をわたしは、小学校高学年あたりから
何故か「ははちゃん」と呼ぶようになった。
小学生の間はずっと「お母さん」だったが、
その頃からなんとなく恥ずかしくなったんだ確か。
今思うと、お母さんって響きには、
母に甘えきっている自分を肯定する語感があるというか。
働き回る母の姿をみて、
これ以上甘えてはいけない!
もっと母の負担を少なくするようにせねば!
と子供ながらに思って
このネーミングに切り替えたような気がする、多分。
(あと昔見ていた「ぽっかぽか」というドラマの影響は完全に受けてる!)
まあ、それで何か変わる訳でもなく。
(母のリアクションも特になかった)
母が自分自身をすり減らし、
わたしのことを優先して考え、行動してくれる姿を見て
ありがたさと一緒に、申し訳なさを
その頃からずっと感じていたなと思う。
たぶん今思うと、学生時代は特に
自分の中の母の存在が、尋常でなく大きかった。
母の生きがいはわたしだから
一緒にいなきゃだめだと思い、
大学時代、都内のキャンパスまで新幹線通学したりもしていた。
(伊豆が好きすぎるって理由も大きかったけれど)
そんなこんなで先の見えないふたり暮らしが
お互いの依存度を知らず知らずに高め、
結構しんどくなってきた頃。
一緒にいることだけが
母を大切にすることではないなと思い、
就職先は東京で見つけようと思った。
母のことは大好きだから、
健康的な距離感に戻したかったんだ。
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ははちゃんよ、
だれかに委ねず、自分の人生を生き抜いて欲しいんだ、わたしは。
上手くいかないことばかりたけど、
わたしだって、あなたの喜ぶ姿が見たいんだ。
わがまま言って欲しいんだもっと。
振り回すくらいでちょうどいいのだよ。
散々えらそうに言っているけれど、
母のことは最強だと思っているし、
わたしが喜ぶ姿を望んでくれてる人がいるってことは、本当に幸福なことだとわかっているつもりだ。
毎日の支えになっています、ありがとうね。
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実家から都内に戻る電車は、
どうしてもセンチメンタル野郎になる。
また近々行くからね。達者でな。