見出し画像

H₂O病

「誠に申し上げにくいのですが、娘さんは、H₂O病の可能性があります」
医師は苦々しい顔でそう言った。
先ほど、ソーダを飲んだ娘の様子がおかしくなり、病院に診断を受けにきたのだ。
「・・H₂O病とはなんなのでしょうか」
親である私は恐る恐る聞いた。
「世界に二人ほどしか症例が見られないほど希少な病気です。これにかかると、もう私どもの手に負えません。どうぞお引き取りください」
「ちょ、ちょっとお待ちください!では娘はどうなるのですか」
私が慌ててそう言うと、医師は一瞬止まり、そしてため息をついた。
「少し、実験をします」
医師は部屋の奥に消えると、何かの液体が入った三角フラスコを手に戻ってきた。
「なんですか、それは」
私が言うと、医師はその言葉を無視し、ピペットで液体を吸い上げた。
そして、横でぐったりとしている娘へと近寄り、袖をまくった。
娘が悲鳴をあげる隙もなく、医師は液体を一滴、ぽたりと娘の腕に垂らした。
「な、何をするんですか!」
私が娘に駆け寄って睨みつけると、医師は、よく見てください、と液体が垂らされた娘の腕を指さす。
みると、そこだけが、焼け野原のように赤くなり、見事に腫れていた。
私は傷口の赤とは裏腹、真っ青になった。
「毒液を注入するなんて・・!」
「いえ、毒液ではありません」
医師は一呼吸入れて、また口を開いた。
「これは水です」
「水って、水でこんなことになるわけないでしょう」
私は娘の傷を撫でながら言った。
「いいえ、H₂O病とは、そういうことなのです。水に触れると、そこがただれ、水を飲むと、過剰にぐったりする。水も飲ませず、お風呂にも入れないとなると、生活が難しくなるでしょう。到底、私たちの手に余ります」
医師はそれだけ一息に言うと、奥に消えていってしまった。

私はしばらく呆然としていた。
水に一切触れさせないようにするなんて、そうはできることじゃない。
ふと、あることが思い浮かんだ。
娘のただれた皮膚に、噛み付いたのだ。
その瞬間、私の体の中の仕組みが、何か変わった気がした。
見ると、さっきまでぐったりとしていた娘が、パチリと目を開けて、飛び起きた。
腕の傷も消えている。
「あれ?お母さん、ここどこ?」
娘はすっかり、元気になっていた。
私は娘ににっこり微笑むと、水筒の水を一気に飲み干した。
その水の量に耐えきれなかったのか、私の体は、ばらばらに崩れた。

部屋中に充満した水素と酸素は、やがて空気で薄められた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?