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ラベリングは必要ないこともあるかも!といういうお話です

こんにちは
コアキです

私は、発達障害の検査として、
ウェクスラー検査をする予定でしたが、右手のケガの影響で検査を中止しました

右手で書く作業があるのですが、
今の私は右手が思うように動かないので、
これが、知的の遅れと誤って判断されてしまう可能性があるからなのだそうで

申し込み時に右手をケガしているので、問診票は家のパソコンで書いてきますと伝えたはずなんだけどなぁ
そこで止めてくれても良かったのにな〜とも思うけど、

でも、その場所に行く事自体、必要があったってことだったのかもなー

実際いつものように、道に迷う事を体験したし笑

カウンセラーから、
他の病院で検査はしなくても、診断をすることができるから行ってみたらどうだと打診されました

だけど、何だかね、
流れがうまくいかない事って、
もうやらなくていいことなんじゃないかと思ってしまうんですよね

あそこで、カウンセラーと話をすることさえ苦痛だったし汗

何かに、止められているような気がしてならなかったのです

その必要はないのだよ!

私は私のやりたいことをやればいいだけ
なんかそんなふうに思えてきました
実際検査結果は後付けだものね

検査の結果がどうであれ、
私という人間は変わらないし、
私のやることも変わらない

変わることと言ったら、
他者から見て
私が新しく『発達障害』と言うラベルが増えるかそうじゃないかだけ

そうだよね
私は変わらないのだよ

だったら、そのまま
好きなことをやったら良いんじゃないか!って

何だか
気持ちがスッキリしました!

うまくいかないことで、気持ちがスッキリする事もあるものなのですね〜
おもしろい


よしよし、明日からまた
これからの私の夢のプランを具体的にしていこう
行動あるのみです
 
最後まで読んでくださりありがとうございました

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