見出し画像

【愛されることの本質的な目的とは?】コア学サロン2022年6月

毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。

秦由佳による毎月の潜在意識講義が受けられる【コア学研究所】はこちらから詳細をご覧ください。

愛には2種類のパターンがある

まず、今回のコア学研究所について最大のポイントを先にお話ししたいと思います。愛とか愛情関係っていうキーワードになるものが、私たちの人生を左右する大きなテーマの1つです。今回は、愛が私たちの人生においてどのようなものなのか押さえていくのがポイントになります。

愛されたいって人はたくさんいるし、愛されたいっていう欲求は、人をよくもするし悪くもするっていう危ういエネルギーなんですが、愛のエネルギーっていうのは、愛されたいっていうものとはまたちょっと違うものなんですね。人が究極に触れたいと思っているのは愛なんだけど、愛を知らないから愛に触れることができずに、愛をさまよい続けてしまうということが起きます。ここが大事なポイントです。

皆さん愛に触れたくて強く焦がれるんだけど、愛を知らないから愛にさまよいます。そこで矛盾が生じているんですね。知ってるから欲しいのではなく、知らなくて飢えているから欲しい、触れたいからさまようんですね。

実際は2パターンあります。1つは、愛を知らず愛に渇望し、愛に飢えて愛を探し続けて、愛っぽいものの中で愛を探求する方向です。もう1つは、愛を知っている状態で、愛に触れ続けながらさらに愛を形にしたり表現したり、愛を違うものへと伝播させていく方向です。

わかりやすく言うと、「愛に飢えて、愛を探して、愛を見つけたかと思ったら、また愛を失って、愛があったりなかったりをぐるぐるぐるぐるしている状態」と「愛があって愛を知っている状態で、愛をさらに強く感じながら愛をどんどん拡張、変化、愛を違うものに伝播させていく状態」という2つの愛のスタイル、在り方、関わり方になります。この2つの状態があるよってことが今回の一番大事なポイントです。

どっちの状態になることもあるんだけど、愛に対して盲目だったり、勘違いしてる状態だと不足べースで現われていくので、いまの自分に足りてないものを取りに行くことが前提になってしまうんですね。

大切なことをいまから話しますね。例えば、パートナーを愛の具現化だと思ってパートナーをクリエイトしていく前提を持つのと、パートナーは心の穴とか生活の穴とか人生の穴ボコを埋めてくれる対象として認識するのでは、人生に現れてくるパートナーは全然違いませんか?大前提として、愛はあったりなかったりするという前提を持って生きるのか、愛は常にある前提で生きるのか、全然違いますよね。

愛を不安定だと感じてしまう理由

先ほどの2つのパターンを思い出してください。1つ目は、愛があったりなかったりっていう前提の生き方。2つ目は、愛は常にあるっていう前提の生き方。この2つの前提の違いによって積み上がるものが違ってくるんですね。

愛されようとすることは、愛があったりなかったりが前提だから、あったりなかったりの不安定さを補うために、愛を取ろうとしたり、愛をこちらに向けてもらう感じで、力を働かせようとするんですね。それがもう全然違います。

なぜ、あったりなかったりがベースになってしまいやすいかというと、小さい頃は自我が愛をとらえることが難しくて、周りの人とか特に両親に対して、短絡的に承認とか興味関心とか反応の良さから愛を図るという物差しを持ってしまうからなんですね。

だから、愛は常にあるのではなくて、周りの人がどれぐらい自分を承認してくれるか、興味関心を抱いてくれるか、自分を受容してくれてるかということが愛を図る物差しになっているんですね。その物差しだけを使っていると、愛に対して緊張状態で過敏になりませんか?ゆったり穏やかにくつろげませんよね。

愛されてるのかな?愛されてないのかな?ってことに常にセンサーを持っていて、それがちょっと満たされるとちょっと安心するんだけど、そのセンサーが過敏だからすぐに気持ちが上下して、愛に飢えた愛を欲しがる人になってしまいます。

愛に飢えて愛が大事だと思っていながら、愛にとても疲れてるっていうケースが多いです。その物差しは簡単に捨てなくてもいいんだけど、そうではない別の物差し、ある種の違うセンサーを持つことがとても大切なんですね。

こういう話をすると、「私はもう愛とかに振り回されなくなりました」とか、「恋愛とか卒業しました」とか、「自分を愛することだけで大丈夫です」とか、変にスピリチュアルをやり過ぎると「全てが愛ですよねー」とか言いやすいんだけど、そういうことでもありません。

愛に対する2パターンの前提がどっちもあるんだけど、ベースとなってくるのが、愛があったりなかったりではなくて、常に愛の中に自分がいる前提で自分の中で愛を咀嚼し、さらに違う形へと変換、表現、クリエーションする在り方にシフトした時に、愛っていうものは何なのか考え方が変わっていくんですね。

同時に、自分以外の人と関わるとはどういうことなのかという延長線上に、パートナーや家族、男と女というすごくクローズなプライベートな関係性が見えてきます。愛に対して根本的に勘違いしてると、孤独も全く違うものになりますが、愛は常に普通にあるので、あとはそれをどう表現するかだけの世界です。

前提が違うと、孤独の種類が全く違うし、孤独に対してどう付き合ってどう関わっていくかっていう、個人のフィーリングも違うし、男に対して女に対して、女を生きるとは男を生きるとは、どういうことなのかっていうことも全部変わっていきます。

ここから先は

9,782字

¥ 1,800

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?