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天塵を読んで思ったこと

0. はじめに

 九月頭にシャニマスのゲーム内イベント、『さざなみは凡庸な音がする』が始まった。話題のイベントに興味があるものの、新人Pの私はノクチルのWINGすらこの前読了したばかり。
 せっかくだからノクチル第一のシナリオ・天塵から順に触れてみよう、ついでだから読んで抱いた気持ちを言葉にしてみよう、がこの記事の成り立ちになる。
 そのため本文中にシナリオ『天塵』のネタバレがある。
また本文は自分の感想でしかない。考察ではないし誰の益にもならないし、あんまり解釈の助けにもならない世迷言・自語り文章になっていると思う。併せてご了承ください。


1. 本文

 さっき天塵を読了した。ある部分を読み終えて、変な気分になった。
 それから間髪入れずにnoteのアカウントを作成し、記事を書き出している。
それにはワケがあり、変な気持ちがまだ鮮明でいるうちに向き合いたかったのだ。
 変な気持ちを言語化すると、近いのは『終盤の展開に対して納得いってない』になる。『納得いってない』がモヤモヤしながら気管につかえて取れないようだ。

 該当するところの軽いあらすじ。
 天塵の終盤にノクチルは海辺の花火大会でライブをする。
 ライブの客席に観客はおらず、人々は花火を見ている。歌の途中で観客たちが良さに気づいてくれるとか、たった一人の観客だけがノクチルのパフォーマンスに魅了されていたとか、救いになる展開は一切ない。
四人はがらんどうの席たちと対面し、最後にプロデューサー一人だけの拍手を受け取った。
 そういう展開なのに、ノクチルの面々は満足したらしい。前回の口パクライブと比べて『なんだかよかった』。
 誰もノクチルを見ていなくても、日々の練習が本番のパフォーマンスに昇華されたときの嬉しさや達成感に彼女たちは報われ、全力で踊っているあいだはいろんな悩みが吹き飛んでいく。
 四人はあのステージの価値をそう見出したのだろうか?
『またやりたい』気持ちを取っ掛かりに、人知れず彼女たちはアイドルのスタートラインに立ったのかもしれない。

 ここを読みながら感じていた納得いかない、はつまり、彼女たちがステージで感じていた嬉しさや達成感に私が共感できなかったことから生まれたのだろう。
 彼女たちの気持ちに私が追いつけなかったのだ。
 私はそのときプロデューサーへ共感した。
「楽しいんだ、最近。理由なんてそれしかないや」という透に対して、遠くから四人を眺めて「こういう美しさをなんて言うんだろう」「後悔させないからな」と言うプロデューサーの独白はノクチルよりもプレイヤーの視点に寄っていて、見方によっては空回りした言葉で、心の中でこのライブの結果に納得していなかった。

 納得できなかったのは、ノクチル四人の気持ちの移り変わりに私たちが追いつけていなかったからだ。
 ただしそれは当たり前だろう。小糸たちが練習に励み、自分たちの行く先に悩むさまを共に体験するでもなくただ見ていただけなのだから。
 私やプロデューサーはこのシナリオの中では傍観者であり、あるがままのノクチルが見せる姿を四人の輪の外から眺めていたのだろう。


2. おわりに

 はじめに世迷言自語り何の役にも立たないミスター・スーパー駄文と言ったし、それは変わらないけど、いちおうこの感想から転じて考えられることもあったから書き残して終わろうと思う。

 シナリオの中で、小糸はノクチルの他三人に追いつこうと努力していた。
 そして、花火大会のステージの最後には『よかった』気持ちをみんなと共有できた。
 小糸の気持ちが置いていかれることなく、三人に追いついていたからこその共感だった。努力は実ったのだ。

 以上で本文を締めようと思う。
 感想を文章にするかは分からないが、寝て起きたら次のイベントシナリオも読むつもりだ。海に辿り着いた彼女たちは何が変わってどこへ行くのだろうか。一説によると、海へ出るつもりじゃなかったらしい……。

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