【ゼロケン日記バスケの景色】~私の中学校の経験
ゼロケンです。
こちらは私がブログをスタートするにあたって一番初めに作った記事なのですが少し恥ずかしくて乗せていなかったものです。
コロナの影響で練習のできないような環境になってしまいこんな私に何ができるか色々考えています。
私のようにバスケ環境が整っていない状況からでもバスケ人生は歩み続けられるといった想いをこめてこの記事を載せたいと思います。
バスケをはじめたきっかけ
今から30年以上前の話ですね(*´Д`)
私の育った町のバスケ環境ですがミニバスは存在しません。
しかも私がミニバスをスタートするまで無かったのですから超マイナー競技ですね( ;∀;)
中学校からは部活動の形でありました。
男子はバスケがあり女子はバレー。
何で?何で?といった感じですが当時の私にはそんな疑問もなくそういったものなのだと思っていました。
ですからチームメイトは中学校から始める子達ばっかり。
私は野球をやっていましたが食も細くもやしのような身体でしたのでレギュラーにもなれずにいましたので別物やって選手になってやる!!ぐらいの軽いきっかけでした。
中学校の部活ってこんな感じ?
田舎の田舎の中学校部活。
当時は部室に行くと「ビーバップハイスクール」全盛の先輩たちがいわゆる「ボンタン姿で」何故か後輩たちを睨みつける。(これが超怖いのです!!!)
後輩はいじめられるものといった雰囲気がむんむんです!
ところが学校の部活動は何故か何かしらの部活に入部していないといけない。
いわゆる強制入部の時代ですのでやめるわけにはいかない(*´Д`)
12歳の少年たちには地獄です!
今思えば「パシリ」のような先輩が「指導係と任命され」新入生たちをしごいていく。。。機嫌がよければ早く帰れて、機嫌が悪ければいつまでも練習ではなく正座!
初めて見た試合の様子
そんな私が初めてバスケの試合をみたのは3年生の先輩たちが迎えた最後の大会です。
あの怖くてカッコイイ!!
はずの先輩たちが負けてしまうのです!衝撃です!!
今考えれば当たり前でミニバスのあった中学校にかなわないし練習がまともでないのだから勝てるはずもない。当時のチームは全くと言っていいほどバスケットになっていませんでした。
先生もバスケ未経験で専門的な指導もほぼありませんでしたから。
ただ私の中ではこれがバスケと思っていた世界に何か違和感を持った初めての瞬間でした。それが何なのかは当時は全く分かりませんでしたが。
1コ上の先輩たちと頑張る日々
3年生は引退し、何も知らない私はこの中学校でのバスケが全てでこれがバスケだと思い込んでいましたので自分なりに一生懸命やっていました。
バスケって体力はめちゃめちゃつきますね!
長距離は一気に学校内でトップクラスです!
空いている番号に一年生で選手に選んでももらいました!!
始めてもらった背番号は「#17」
水を得た魚
同じ地区には全国大会にも出場したことのある名門の中学校もあり地区大会で勝ち上がるということがありえない環境でした。
ただ当時は何故こんなに練習しても勝てないのか全く分かりませんでした。
最上級生になりキャプテンも務める中、進級した2年生のとき一年だけお世話になった非常勤講師の先生!!
バリバリの!バスケ経験者の!専門的な!指導!
毎日がとても刺激的でした。当時は〇罰もあるし暴言もあるし。今考えれば有り得ないのですが・・・
当時はそれが当たり前でしたし何より、そんな事より「これがバスケなんだ!熱い!熱すぎる!」といった刺激が大きいため気にもなりません!!
先生は非常勤ですので産休を終えた先生が帰ってきたため一年でサヨナラ。
中学校最後の大会も初戦で負けて終了!結局公式戦は一回も勝てずに終了。
そりゃそうです。一年専門的に頑張ったって他だって練習している。
ただ出会いって不思議です。
これが私の「ゼロケン」の根本になっていると思います。
先生には今でも感謝していますしその後の私の人生を大きく変える出会いだと思います。
最後に
今回は私のバスケ経験をお伝えさせていただきました。
恥ずかしいですが笑い話で読者の皆様への励ましになれれば幸いです。
こんな私がゼロからミニバスチームを県大会まで連れていく様子はこちらからご覧ください。
【ミニバス~ゼロ県日記~】チーム立ち上げ ゼロから作るに至った経緯を紹介
覚悟があれば大丈夫です。私にだって出来たのですから。今回はここまでです。
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