「キャリアとは生き方」という言葉を受け止めて、自分のキャリアを肯定的に振り返ってみる。キャリアを通して自己紹介【小学校から20代半ばまで編】
さて、「キャリア」に関して書きたいと思って書き進めてみたら、うっかり長い前置きになってしまった前回の投稿の続きです。まずは是非、前回の投稿からどうぞ。
ちなみに、前回の投稿のタイトルはちょっと修正いたしました。【前編】の表現はふさわしくなくなってしまったので、こっそり【前置き編】にしちゃいました。
これからいくつかの「キャリア」が登場するのですが、いくつかのポイントを押さえつつ書いていきたいと思います。
きっかけ
期間
仕事内容
思い出
というわけで、どうぞ!
ガールスカウトで「自分で考え行動する」を叩き込まれた
いきなり、ちょっと毛色の違うキャリアからスタートします。ガールスカウトは仕事ではありません。でも、間違いなく私の大事なキャリアのひとつだと思っています。タイトルにあるとおり「キャリアは生き方」であり、私はガールスカウトで生き方を教わりました。
きっかけ
母が私を入れたのがきっかけです。学校では同学年の子たちとしか繋がりがありませんが、ガールスカウトは年下の子、年上の子との繋がりができます。その人間関係の広がりを良いと思ったようです。私は、少し変わった習い事がひとつ増えた、という感覚でした。
期間
小学校2年生から26歳までの約19年弱の間。
ガールスカウトでは、高校3年つまり18歳の年齢までを「スカウト」と呼び、スカウト時代を終えると、「リーダー」と呼ばれ、自分の後輩にあたる下のスカウトの指導(厳密には支援)を経験します。このスカウトの指導にあたるリーダーの期間も含めて、若い女性を育てる青少年運動がガールスカウトです。
私は11年間のスカウト時代と、8年間のリーダー時代を送ったことになります。
思い出
ガールスカウトについては、それだけでnoteが4~5本書ける気がするくらい、私にとっては大きな経験です。
まずはスカウト時代から紹介します。
小学校低学年のときは、自分がどうしたいのか安心して表現できるようになることに重きを置かれます。
自己表現ができるようになった小学校高学年になると、仲間と一緒に協力することを訓練します。
中学生になると、自分たちがやりたいことやすべきことを、どう実現するかを訓練します。「PLAN・DO・SEE」といって「計画・実行・振り返り」の手順の大切さを教わります。企画の進め方を身につけるわけです。
高校生になると、活動の場を地域や世界に広げ、自分たちがやりたいことすべきことを、社会でどう実現できるのか考えるようになります。
そしてリーダー時代に突入します。
スカウトの経験を経て、リーダーになると、今度は自分が教わったことを後輩たちに伝えていくことになります。ここが難しいのですが、ルールを教え込む指導ではなく、スカウトたちが自主的に活動する支援を心がけます。
リーダーになってからが実は学びの集大成であり、スカウト時代の学びを振り返り、教える経験をすることで、学びを真に身につける機会を得ることになります。どの年代のリーダーになるかで、学びの身につき方も変わります。
私のなかに強く残っているのは、「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう思うの?」というリーダーからの問いかけでした。何度聞かれたことか。小学校低学年の頃からこの問いかけは始まり、中学生や高校生の頃になると、この問いかけの重さに押しつぶされそうになりました。そして、いつのまにか自分の中に沁みこみ、ガールスカウトを辞めてからも、「私はどうしたいのか?」という問いが聞こえてきます。
「私はどうしたいのか?」の問いを身につけることが、「自分で考え行動する」ことができるようになることに繋がります。「私はどうしたいのか?」という思いを「PLAN・DO・SEE」に沿って進めることが「自分で考え行動する」ことです。
「PLAN・DO・SEE」は、社会人になってから知ったPDCAにも似ています。個人的にはCHECKとACTの2段階を入れることで歩みが遅くなるので、SEEから直ぐ次のPLANに進める方がスピーディーで好きです。
社会人になって就いた業務において、私は自然と「業務改善」や「業務推進」を進めるようになり、どの会社でも本人の希望はさておきマネジメント業務に任されることになるのですが、ガールスカウトのおかげです。
ガールスカウトに入っていなかったら、私は今どんな人になっていただろうかと考えても、想像つきません。面白いですね。
建築事務所で社会人をスタートする
きっかけ
就職氷河期を理由に就活を怠けていた私は、なんと大学卒業目前にして就職先がきまっていませんでした。・・・そこで、天の助けが!
家族ぐるみで親しくしていた友人のお父様が、ご自身の建築事務所立ち上げに伴って、私を事務のアルバイトとして雇ってくださいました。ガールスカウトの友人です。小さいころからずっと一緒に活動していた彼女の助けで「大学卒業したけど無職」の状態を免れました。
期間
大学卒業してすぐの4月から8月までの約4ヶ月間。
思い出
社会人として右も左も分からない私に、雇い主である私の友人のお父様の元部下の方(分かりにくいね)が、一般事務の仕事を教え込んでくれました。庶務系、事務系のお仕事は、ここで一通り覚えることができました。
思い返すと、機会を与えてくれた友人のお父様と、一般事務の仕事を教え込んでくれた方には、本当に感謝です。たった4ヶ月のことでしたが、ここでの経験はその後の社会人生活に役立っています。経験は長さではなく質だなと感じます。
新聞社で自分の読みの甘さを知る
きっかけ
実はマスコミ業界で就職を希望していた私は、大学卒業後も細々と就職活動を続け、8月になってやっと、とある新聞社の契約社員に採用となりました。
期間
大学卒業後の8月からきっかり3年間。23歳から26歳までの年を過ごしました。
仕事内容
大新聞の東京本社の社会部の司法クラブの、とある宗教テロ裁判担当記者さんの、アシスタントでした。主に裁判記録をデータ化して管理することが私の役目でした。
ここで私が得たのは「少々乱暴なブラインドタッチ」というパソコンスキルでした。
思い出
業務内容は本当にごくごく単純作業の連続でしたが、扱う内容と、身を置いていた環境が、今思い返しても何というか、特殊でした。誰もが知る新聞社の社会部のど真ん中に席がありましたので、それだけでも貴重な経験だったと思います。
ちょうど私が在籍していた時期に9.11のテロ事件がありました。あの時の社内の騒乱は忘れられません。マスコミ各社そうだったろうと思います。誤解を招きかねない言い方になりますが、あんなに熱意と興奮をもって仕事をしているおじさん達を見たのはあの時だけです。誰もがギラギラ生き生きとしていました。一度は記者になることを目指したこともあったのですが、本物の記者の方を目の当たりにして、自分の読みの甘さを思い知りました。
私が担当していたとある宗教テロ裁判は、日本人であれば誰もが知るあの事件の裁判です。これを語るには情報量が多すぎて、もはや何も言えませんが、あの仕事は貴重な社会体験でした。
業務内容自体については繰り返しになりますが、ごくごく単純作業の連続でした。実は、これは「自分で考え行動する」を叩き込まれてしまった私には少々辛いものがありました。与えられた業務に満足できず、上長とうまくいかないこともありました。何度か途中で辞めることを考えました。客観的に振り返ると、社会人として伸び盛りの20代半ばを過ごすには、非常に物足りない業務でした。
とはいえ、他では体験できない社会科見学をすることができた3年間でした。あの頃お世話になった方たちは、偉くなられ、遠い存在になってしまいました。たまに紙面で名前を見かけて活躍ぶりを知ると嬉しくなります。
私の「キャリア」はまだまだ続きます
以上が、小学生から20代半ばまでの私のキャリアでした。やはり、私には「端的に、事実だけを、淡々と書く」ことはちょっと難しく、結構な長さになってしまいましたので、この続きは次の記事にします!
ここまでお読み頂きありがとうございます。ぜひ、次の記事もご覧頂けると嬉しいです。
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今回の冒頭の写真はカナダ プリンスエドワード島の道路です。舗装された道路ではありますが、ご覧のとおり、つぎはぎの工事の跡が残っています。こういう道路を車で走るとガタガタガタガタ大変なんです。インフラ整備が世界一である日本からくると、こんなところにもびっくりします。
前回の投稿の写真に関連して「道」の風景を選びました。