登ってみたかったから、ただそれだけ。
こんにちは😃
コーチのりょうくんです。
今日は、
久しぶりに会ったお客さんと。
いや、もはや友人だけど、
僕が独立した頃の
最初のお客さんについて。
6年前、
僕は会社員で、
個人で発信することの手段を
持ち得なかった。
個人で独立することを
決めた頃、
ブログというのを
初めて知った。
仕事で文章を書くことは、
あったものの、
改めて自由に、
自分の思うところを発信する、
というのはなんとも抵抗があった。
そもそも、
何を書けばいいのかもわからないし、
文章というものを、
書けるのかどうかもわからない。
そんな時、
ブログ初心者に、
ブログの書き方を
教えてくれるという人がいて、
その人にブログとは何か?
というレベルから教えてもらえる場所に、
その人に会いにいった。
その時、同席したのが、
同年代か、もしくは、少し上の年代の人
僕を含めて4人と先生という
集まりだった。
そこに、
結果として
後々最初のお客様となる人もいた。
テクニック的な話は
もちろんあったものの、
最初の僕としては
1番心を動かされた言葉は、
こういうことだった。
「とにかく、好きに書けばいいです」
もっと深い意味は
当然あるのだけれど、
その時の僕にとっては
十分なアドバイスで、
なぜか、というと
今なお
文章を書くということに
特別な感情をもっていないからだ。
そもそも、
「何かを伝えたい」からこそ、
文章を書くのであり、
何かを狙ったり、
何かを得るために
文章を書いたりするのだったら、
多分、僕は
いろんなことに翻弄されて
一文も書けない。
それだけ、
自分を表現することに
臆病なんだと思う。
でも、
その先生が言った最初のアドバイス。
これは、
今なお、大切にすることとなる。
「とにかく、書きたいことを書く」
ということ。
なぜか?
そんなことに意味はあるのか?
知らん。
でも、僕が思うには、
この文章が誰かに必要とされることもある、
ということ。
それは、あくまで
結果として、だ。
この文章が
誰かの役に立てたらいいな、
とは思うものの、
そんなことは狙えない。
そんな結果は望めない。
だって、
それは僕のコントロールできる
範疇外のことだ。
そんなことよりも、
というのは、
得られるかどうか、
わからない
期待なんてする結果なんかよりも、
それをすることで
自分がどうなるかを知りたい。
この例で言えば、
ブログを書いてみる、ということ。
これを書いたからと言って、
何かになったのか?と問われれば、
僕は、
「別に。」と言うだろう。
これを読んでいる人は
その結果を知って
ガッカリするかもしれないな。
しかし、
しかし、だ。
それでいいのか?
誰かが
答えを知っていて、
その答えを教えてくれるとしても、
それは
あなたをスッキリさせる
かもしれないけれど、
何かを失った気はしないか?
何かに、気づける機会を
逃したと思えないか?
なぜ、そう言うかと言えば、
外に答えを求めてしまう状態というのが
往々にしてあるからだ。
そして、
「そんなことよりも、答えを教えて!」というあなたの切実な願いが聞こえるからだ。
でも、はっきり言うけれど、
「それの何が面白いの?」
「そんなことになんの意味があるの?」
そんな、自分でつっこんでしまいたくなること
の行動に答えがあるのかどうかを
試してみたことはあるだろうか?
誰かに答えを教えてもらうよりも、
自分で答えを出してみたくないだろうか?
探せば、いや、試してみれば
きっとあるだろう、
と思うんだ。
忘れているだけで。
僕は小学生の時に、
雨樋を伝って、
屋上に登ったことがある。
なんの意味もない。
その後の人生で、
役に立ちそうなこともない。
でも、登った。
単純に、
そこからの景色を見てみたかったから。
この時、僕は
誰かに答えを求めてない。
ただ、自ら知りたかったんだ。
それで、完結してる。
それ以上もそれ以下もない。
ただ、ただ
あの時、屋上を制覇してみた、
ということが僕の中にあるだけだ。
話は戻るけれど、
久しぶりにあったお客さんは、
その時の体験をどう思っただろう?
でも、どうしても
そんなことに真実なんてわからない。
それでも、僕は知っている。
あの時、僕とあなたは
その瞬間、一緒にいて、何かをした。
そして、それは今なお
僕にもあなたの中にも生きている、と。
登ってみたかったから
登ってみたんだ、
ただ、それだけ。