手を振るときはいつも笑顔で
さまざまなニュースが飛び交う毎日。
どうしても目についてしまうのは暗いニュースや事件。
目にする度に思うのは、当たり前と思うこの日常が簡単に消えてしまうかもしれないということ。
わたしには大切な家族がいる。大切な友もいる。
誰ひとりとして失いたくない。
わがままかもしれないが、できることならずっとそばにいてほしい。
もちろん彼らには彼らの人生・やりたいことがあり、ずっと一緒にいるのは難しいこともわかっている。
だからこそ、わたしは常にあることを心に留めて彼らと向き合っている。
それは、
ということ。
❚ 家族
衣食住をともにする妻や子どもは一緒にいることが当然で、明日もその次もそのまた明日もそばにいるのが当たり前と考えてしまう。
でも、この世の中、いつ何が起きるか本当にわからない。
突然の流行り病で家から出ることをはばかられるなんて、少し前では想像もできなかったことが実際に起きている。
だからこそ、わたしは思う。「これが最後だとして後悔しないか?」と。
家族とは距離が近い分、ケンカやイライラすることも多い。
ときには一緒にいたくないとさえ思うほど、ぶつかることだってある。
ただ、こういうときこそわたしは思うのだ。
「もしこれが最後だったらどうする?」と。
もしこの状態のまま別れて、それきり会うことができなかったら…。
そう思うと怒りの雲はどこかへ行き、冷静に家族と向き合うことができる。
どうせなら笑顔で一緒にいたい。
両親や親族に対しても同じだ。
離れて暮らすため、残りの人生であと何回顔を合わせることができるかわからない。
だからこそ、会えたときにはたくさん話をし、会えた喜びを素直に伝えたいと思う。
❚ 友人
わたしも歳を取り、家庭を持ったので友人と過ごす時間は昔に比べると減ってしまった。
ただ、今でも会えば昔のようにバカ話をして多いに笑い、家族とは違う刺激をくれる友人がいることがわたしの自慢だ。
友人から受ける刺激やかかわりが今のわたしを作ったといっても過言ではない。わたしの人生において、友人は欠くことのできない大切な存在だ。
だから、友との別れ際には必ず「また会おう」と伝えている。
❚ 願い
わたしの人生は周りの人の支えにより素晴らしいものになっている。
だからこそ、わたしは大切な人とずっと一緒にいたい。
一緒に過ごすときを大切にしたい。
妻の出勤を見送るとき、
子どもを保育園に預けるとき、
実家から帰る際の両親に向けて、
ほろ酔いの友と別れるとき、
わたしはいつも笑顔で手を振る。
また彼らに笑顔で会いたいから。