躊躇う時間がもたらすもの
『4ヶ月1,500名のウェルビーイングの声に携わって』の投稿#3です。
心の奥では小さく思ってる。
怒りに任せて、言い過ぎてしまったと。
人間関係というものは厄介で。心は葛藤を重ねてしまう。後に引けないやら、事の発端はこっちじゃないやら、上だ下だやら、勝ちだ負けだやら。人間って厄介ですね。
言うだけ言ってスッキリするはずが、結局、心はブルー。スッキリしない。
ああ、私ってめんどくさいです(笑)。
正論と、真逆の両方を言います。
まずは誰もが知ってる正論(笑)を言えば、とっとと言葉にすればいいのですよね。
誰もが知ってる言葉。「ごめんなさい」を。知っているのに、なぜか言えない時もある言葉。
気まずいものにしてしまった人間関係。途切れてしまった縁。躊躇う時間がもたらしたもの。
もちろんそれぞれの理由がありますから、一概には言えません。
しかし、こちらが謝罪することではないにしろ、その人との関係性がこじれていくプロセスにおいて、どこかのタイミングで必ずあったはず。自分からごめんなさいを言っていれば、何かが変わっていたということが。
昨夜雑誌を見ていて、25年ほど前のあるシーンを思い出しました。
小さな棘(とげ)として、そのシーンは私の心に残っています。
不器用なその人にとって、それは歳月をかけて準備し、見栄もかなぐり捨てて、最大限の謝罪と感謝の表現だったでしょうにその時の私にはどうしてもそうは思えず、素直に受け取れませんでした。
しばらくしてからでも、その時の自分の態度を素直に「ごめんなさい」と「ありがとう」を言ってさえいれば、小さな棘として人生の長きにわたって残ることはなかったはずです。
後悔はしていませんが、小さな棘は何年経っても、チクッと痛い棘のまま。完全には楽になってはいないということです。
幸せの習慣3:
躊躇う時間は最小限にして、ごめんなさいはとっとと言う
でも一方で、正論とは真逆のことを言いますが、こうも思ってもいます。
お読み頂きありがとうございました。
あなたの今日が良き日になりますように。
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