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Financeと経営の次元上昇
プロのコーチとして多くの方の人生に向き合う時,必ずと言っていいほど「ファイナンス」の相談を受ける.資本主義が社会のあらゆるものを飲み込み,その自重から歪みを生んでいる現代において,人はファイナンスの問題を無視できない.
私は社会起業家であり,経営に向き合う人間でもある.経営者の目には経済空間がプレーヤーの犇くゲームフィールドに見える.ある者は経済的利益とその先にある資産形成を求め,ある者は富よりも名声を求め,またある者は社会的インパクトを求めて事業活動を行っている.
こうしてみると,個人も事業家も自分なりのゴールに向かって経済という「舞台」の上で舞い踊っている点で本質的に変わらない.私たち人間はゲームに没入するあまり肝心なことを忘れてしまう.
この記事ではコーチであり,経営者でもある私なりにファイナンスや経営に役立つ「視点」を紹介しようと思う.
ファイナンスとは何か
こうして経済は生まれた
私たちが社会で生きるには協力が必要だ.それは人類という種の選択でもある.他の動物に比べて未熟な段階で生まれてくる私たちは協力しなければ次の世代である子どもを育てられない.
個人よりも大きな集団で生活するなら役割を分担した方が効率的だ.人には得意不得意があるし,特定の分野に集中することでノウハウも溜まる.
分業をすると自分の生活に必要なものを自分で用意できなくなる.だから,交換をする.これが経済の根本だろう.
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ファイナンス ≠ お金を得ること
人はついついファイナンスのことを「お金の悩み」と考えやすい.これには様々な理由があると思うが,第一には数値化の魔力だろう.人は数字に強い臨場感をもつ.社長は売り上げが気になるし,仕事でKPIを決められるとついついその指標ばかりを追いかけてしまう.
お金が数字である以外にも理由がある.優しい言葉だと社会慣習であり,もう少し過激に言えば宗教現象だ.私たちは長年,交換や蓄財のツールとしてお金を使ってきた.その結果,「お金は大事だよ」と無意識に信じるようになってしまった.この信念は大人から子どもへと受け継がれていく.
ここでよく考えてみて欲しい.ファイナンスの本質は「お金を得ること」なのだろうか.お金があっても空腹は満たされないし,家も建たない.紙切れや通帳の数字を見ていても病気は治らないし,学びも得られない.
お金を動かすもの
ファイナンスは「必要なものを手に入れる活動」と考えたらわかりやすい.お腹が空いている時には食べ物が必要である.何かを学びたい時には先生や教科書が必要だ.それで目的は達成される.
お金がなければ必要なものを買えないという意見もある.その通りではあるが,貴重な芸術作品やハイブランドの限定品などお金だけでは買えないものもあるし,お金がなくてもプレゼントして貰えば何でも手に入る.
あえて極端な話をしたが,お金にロックオンしているとファイナンスや経営の本質を捉えられないことを強調したかった.個人でも法人でも国家でも,ファイナンスとは必要なものを手に入れる活動であり,その一部としてお金の次元があるのだ.
// ここからは私の実体験を交えていく
// 以下の記事を参考情報として提示する
経営とは何か
学問の窓から
大学時代には経営学を専攻していた.だからPh.Dでもない人間が好き勝手に経営のことを論じるには抵抗がある.ただ,私なりの視点ということで誰かしらの心理的盲点(スコトーマ)を外すことになれば嬉しい.
経営学には様々な分野があり,膨大な研究と蓄積された理論がある.当時の私が特に魅了されたのは野中郁次郎先生の「知識創造理論」だ.経営においてナレッジが重要であることは言うまでもない.企業内におけるナレッジの生成プロセスを明確にしたこの理論は1990年代に世界的評価を受けた.
もう一つはゼミの指導教員から教わった「無形資産」という概念だ.目に見えやすい資金力や設備などの資産は企業の競争優位性の一部に過ぎず,目に見えない無形の資産こそ重要だと学んだ.
つまり,経営にも「物理空間」と「情報空間」がある.この両方を踏まえなければ経営の本質はわからない.さらに,情報空間には「人間の認知」が含まれる.経営の神様と呼ばれた松下幸之助氏が語ったように,人間を理解することが経営の要諦なのだろう.現代風には,認知科学以降のナレッジだ.
失敗の本質
大学生の初期に私は「お金持ち」になろうとした.その失敗経験は,経営を理解する参考になる.当時の私は,漠然と「お金が沢山ある状態」を目指していた.
「お金があれば何でも買える」
「お金があれば時間を自由に使える」
「お金があれば立派になれた気がする」
色々と難しいことは考えていたが,煎じ詰めれば,こんな心の声に突き動かされていた.まさに,お金を目的化した「お金教信者」である.
1年間の休学期間に色々と試した.どれも無学な若者が思いつきそうな事なので語るに及ばない.ただ一つ言えることは,私は1年間という「時間」と用意した「資金」を全く有効活用できなかった.
夢やぶれて復学を決めた私はコンビニで働いていた.そこのオーナーの言葉が心に残っている.
「君はお金を稼ぎたいと言うが,路上に出たら君に何ができる?歌を歌うとか靴を磨くならできるかもしれんがそれくらいだろう.それでいくら稼げるのか.コンビニの時給の方が高くなるだろう」
大切なことを教えてもらった.そのコンビニのオーナーは元々起業家で年商50億円くらいまで事業を育てた経験があった.資金があれば,時間があれば,頼れるパートナーがいれば,アイディアさえあれば.それは幻想だと理解した.結局,裸一貫で自分に何ができるかこそ重要なのだ.
その後,自分を鍛え直すために復学して濃密な大学生活を送った.こんなに愚かな歩みを許してくれた両親に感謝している.
アノマリーとの出会い
経済的利益ではなく社会的インパクトを目的とする起業家を「社会起業家」と呼ぶ.大学に復学して情熱を注いだ活動がこれだった.
その活動から創業された会社の取締役を数年務めた.現在は自分が起業した会社を経営しているがもちろん社会的インパクトを目的としている.
社会的インパクトとは例えばマイノリティの雇用が増えるとか,環境問題が改善するとか,社会的孤独が解消されるといったことだ.こうした目的意識で経営をしていると不思議な現象が起こる.
色んな人が人脈を使わせてくれたり,特別な条件で契約ができたり,顧客に迷惑をかけてしまっても離れずに見守ってくれたりする.これらは,利益と株主価値の最大化という抽象度では説明ができない.経営における情報空間で何が起きているのだろうか.この点は後ほど詳述する.
経営能力の正体
最後に,経営の「身体性」について話したい.私は中学で経営者に憧れを抱き,高校では松下幸之助氏や稲盛和夫氏をはじめとした経営の本をかなり読み込んでいた.それにも関わらず,お金持ちになろうとして失敗した.
それには様々な要因があるが,実際に経営ができるだけの「身体性」がなかったことは強調しておきたい.認知科学者の苫米地英人博士によると,IQとは「情報空間を物理空間のように認識して操作する能力」である.つまり,身体で感じて動かせる力だ.
経営やファイナンスの能力が高い人には,共通する身体的感覚がある.言い換えるなら「経営IQ」や「ファイナンスIQ」が高いのだ.景色を見るように経営空間を認識し,手でモノを扱うようにファイナンスを動かす力だ.
この能力は職人技のように,人から人へと相対で伝達される.逆に言えば,先達がいないと習得にかなり苦労する.松下幸之助曰く,「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」である.
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ゲームの舞台
グランドルール
経済空間をゲームの舞台とするならそこにはルールがある.人ひとりにできることは限りがあるから,常に「誰かにやってほしいこと」がある.人間の幸福は絶対量ではなく変化量から生じる.つまり,望むものに際限はない.だからゲームは終わりなく続いていく.
ゲームの第1ルールは「役に立つこと」だ.
問題解決と言ってもいいし機能提供とも表現できる.誰も困っていないことは問題と言わない.まずは問題を抱えた人,あるいは組織集団を見つける.すると,同じ問題を抱えた「集合」が見えてくる.これを市場と呼ぶ.
第2のルールは「お金を上手に使うこと」だ.
国家予算を使えば個人が抱える問題はかなり解決できるだろう.しかし,その金額を支払ってまで問題を解決してほしいと依頼する人はいるだろうか.経済空間においては,より上手にお金を使わなければ流れをつくれない.
枝葉末節はあるだろうが,おおよそゲームのルールはこんなところだろう.いたってシンプルである.経済や経営,ファイナンスに苦手意識をもっている人は少なくない.つい高度なものに感じてしまう.本当の問題は別にあるように思えるのは私だけではないだろう.
盤上をひっくり返す一手
より役に立ち,よりお金を上手に使えるプレーヤーがいつも勝利するとは限らない.戦争やジャイアンを考えるといいだろう.勝った方が問答無用に全てを手に入れる.力の論理による決着である.
もちろん,争いや暴力にもコストはかかる.戦争の歴史を見ても,経済を完全に無視して戦うことはできない.ただ,強行手段という選択肢は常に存在していることを忘れたら物事を見誤る.
国家という枠組みがあれば個人や企業は力の論理を使えないと錯覚するが,政商,談合,圧力,縁故はそう簡単になくならない.声をあげて止められるものは力とは呼ばない.私に助言をくれたコンビニのオーナーは力の論理で廃業したそうだ.
それは「奴隷が資本主義の根幹の1つ」であるからです。原価を安くするためには何が一番効率的でしょうか?そうです、人件費を安く抑えることです。大量の奴隷を捕まえて無料でこき使う。これが最も儲かるやり方なのです。これが始まったのが大航海時代でした。こういったシステムをつくり出したのがVOC[オランダ東インド会社]をはじめとしたグローバリストたちでした。いまの格差社会の雛形はすべてここから始まっているのです。
ゲームマスターの存在
経済がある種のゲームであるなら胴元もいるはずだ.カジノと同じである.そして,ゲームは必ず胴元が儲けるようにできている.プレーヤーがリスクを取って勝ったり負けたりしても,舞台を用意する側には関係がない.
一時,プラットフォーマーという言葉が流行った.ITベンチャーが多かったが,彼らはどのユーザーが人気でも構わない.プラットフォームに滞在して経済圏を回してくれたら儲かるからだ.
では,経済空間のプラットフォーマーは誰か.
税収を得ている国家はそうだと言えるかもしれない.どの会社が儲かろうが一定の条件で消費税や法人税や所得税を集めるだけである.もちろん,公共の利益に使われるのであれば問題はない.
では,政治や国家のプラットフォーマーは誰か.
キングメーカーや信用創造はキーワードかもしれない.この話がファイナンスや経営の話とどう関係があるのか.
私が言いたいのは,1つのゲームにのめり込むと,視野が狭くなるリスクがあるということだ.
ファイナンスや経営は楽しいものだ.経済も面白いものだと思う.しかし,本質的にはゲームと変わらない.現実と接する経済や経営をゲームと言うのは不謹慎かもしれないが,それくらい気軽に構えた方がフラットになれるのではないだろうか.
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高次元化する社会
歴史の勝者を決めるもの
ゲームの舞台に思いを巡らせたので,ファイナンスや経営のIQを高める方法を話そう.抽象度の高いテーマなので,まず地政学を例に出そう.
近年は「⚪︎⚪︎の地政学」といった本が溢れている.外交や安全保障に関わる学問分野なのだが「⚪︎⚪︎」の部分が次々に増えている.金融地政学,宇宙の地政学,サイバー地政学などである.
昔は陸上での戦いが主だった.刀や弓をもった兵士がガチンコで戦う.そこに銃や大砲が入った時のインパクトは皆様もご存知の通りだ.
ある時から海上が戦いの場になった.大砲を備えた巨大艦隊の戦いである.しかし,空を支配する戦闘機には戦艦といえども太刀打ちできない.現代は科学の粋を集めたミサイルが飛び交う時代である.
こうして争いのフィールドは広がり,ハッキングなどのサイバー空間や人の心をターゲットとする認知戦(Cognitive Warefare)まで発展している.
これは地政学の次元上昇として理解することができる.陸だけなら1次元,海を入れて2次元,空まで含めると3次元だ.そこにサイバーや認知や経済を足していくと次元はどんどん増えていく.
いよいよ,ファイナンスと経営の次元上昇だ.
成功する人の視点
ファイナンスや経営にも多くの次元がある.
キャッシュフローの次元では現金の入と出を見るだけだが,損益計算の次元では売上とコストと利益を正確に把握する.バランスシートは,日々の経済活動の結果として資産と負債がどのように蓄積されているかを示す.
経営者がよく陥るのが「売上志向」である.実際に聞いた話なのだが,ある社長は1000万円の売上に対して1500万円のコストがかかっているのにその案件を切ることができなかった.これは利益を見る損益計算の次元が抜けている例である.
次元が少ないと情報量も少なくなる.抽象度が低いということだ.利益だけを求める会社よりも社会的インパクトの次元を加えた方が抽象度が高い.
設備投資だけにこだわる会社より,ナレッジや人的資本,社会関係資本にも目を向ける経営者は抽象度が高いというわけだ.
自身がファイナンスや経営を行うとき,どれくらいの次元を認識して操作しているのかをモニタリングしなくてはいけない.そして,可能な限り多くの次元を俯瞰する「視点」を獲得した方がよい.
現代の定石
次元という感覚をつかんだところで,さらに深い話に移ろう.地政学には次元の1つとしてサイバー空間がある.経営も同じである.AIサービスが日夜発表されている現代でコンピューターやネットワークを全く使わない会社は潰れてしまう.
実は,このサイバーという次元には特別なルールが適用される.「物理制約」が働かないのである.
データをコピーすることにはコストがない.何らかのノウハウをPDFデータで売っている人がいるとして,1件ごとにかかる労力は実質ゼロである.これを野菜に置き換えると1つの野菜を作るには多くの物理的コストがかかる.
ファイナンスや経営を考える際には,物理コストを低く抑えることが基本である.そうしないと「お金を上手に使う」ことができない.
余談だが,これは圧倒的な格差につながる.農家とIT企業や金融業者が競争したら間違いなく農家は負ける.社員や取引先に還流する金銭は桁違いだし買収もされ放題だろう.残念ながら,プレーヤーとしてゲームをする抽象度ではこれは変えられない.
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近未来の重点投資領域
「Cognitive」も物理制約が働かない次元である.要するに,人間のマインド(脳と心)だ.私はこの次元が最重要だと考えており,自分のクライアントにはこの領域のトレーニングを薦めている.
そう考える根拠はいくつもあるが,単純な理由を2つ挙げよう.1つは軍事の領域で「認知戦」が重視され始めているからだ.軍事で起きたことは後に民間に波及する.インターネット等の例を出すまでもなくご存知だろう.
もう1つの理由は,マインドは抽象度を上げられるからだ.ここまで真剣に読んだ方は「自分の視点が高くなった感覚」があるのではないだろうか.
人間の認知にはそんな能力がある.より多くの情報や次元を包摂した抽象度の高いファイナンスや経営がより良い結果につながる.
驚くことに,Cognitiveの次元をあまり認識していない人は多い.経営者の情熱がなければ何も進まない.経営者のIQが少し上がればどれほどの効率化になるだろう.私は近い将来,CEOならぬ「CCO(chief cognitive officer)」という役職が重要になるのではないかと予想している.
自己の次元上昇
ファイナンスの目的
最後にゴールについて話しておきたい.マインドの次元を有効活用するには認知科学以降のパラダイムに基づくコーチングが極めて有効である.
コーチングではゴール設定を何よりも大切にする.目指すものがなければ,何のモチベーションも湧かず,アイディアも出てこない.
「ファイナンスに悩んでいます」
そんな人の話をよく聞いてみると,そもそもゴールが設定されていないことが多い.順番が逆なのだ.
これは無理のないことでもある.経済空間という舞台が「依存的なゲーム」であり,ある種の「宗教現象」を起こしていることは知識ある方なら違和感なく受け入れられるだろう.
「どんなファイナンス状態が理想か?」
「何のためにそれが必要なのか?」
この問いに立ち戻ることが「秘訣」である.
なぜ経営を行うのか
あなたが経営者,あるいは起業を志しているなら,是非お聞きしたい.
「経営のゴールはどこに設定されているだろうか」
「そのゴールはあなたが心から望むものだろうか」
ミッション・ビジョン・バリューやパーパスといった言葉が飛び交う昨今,表向きの綺麗な回答ができる経営者は多い.若いのに大層立派な志を語るものだと関心することもある.
しかし,それは本心からのものだろうか.
事業を起こし会社を経営していくことには困難が付きまとう.資金繰りの問題,仲間との軋轢,取引先とのトラブルなど,日々押し寄せる課題を処理しているうちに,いつしか心が置き去りになる経営者は少なくない.
私もその気持ちは痛いほどわかる.
だからこそ言いたい.
経営者の心に嘘があると経営空間が淀んでしまう.
自分が本当に向かいたい先はどこだろうか.
その問いこそが経営の最優先事項ではないか.
幸い,心の次元には物理的制約が働かない.工場やビルを建てるより楽だと思う.心が「まっすぐ」になるインパクトは絶大である.
これから事業を起こそうとか,副業に乗り出してみようと考えている人は,ゴール設定をお薦めする.
あまり人を巻き込まず,初期投資やランニングコストがかからないなら試しにやることも否定はしないが,事業である以上は顧客への責任が生じる.この記事を読んで迷いが生まれるなら,ゴールを考えてみてはどうだろうか.
さらに先へ
この記事ではファイナンスと経営に焦点を当てた.どちらも奥深く面白い.ただ,人生はもっと多次元で面白い.健康も家族も趣味もかなりの次元数を内包している.地域社会や国家,世界全体への貢献となれば,さらに空間は広がっていく.
私は昔,お金持ちになりたかった.嫌なことをやりたくなかったからだ.コーチング用語ではhave toという.外圧によって何かをやらされるストレスに晒されなくなかった.それは認知科学的に正しい.
ただ,戦略が間違っていた.お金持ちになることではなく,自分の心に正直であることが重要だった.
マインドの抽象度からファイナンスや経営の問題を解いた結果として,私のファイナンスと経営の能力は飛躍的に高まった.
この記事を読めばわかると思うが,私はファイナンスも経営も大好きである.その上で,経済空間そのものをさらに進化させた方がいいと考えている.例えば,ベーシックインカムやブロックチェーン技術を用いた通貨多様性の実現,物理的価値と情報的価値の棲み分けにも関心がある.
そして,未来ではファイナンス活動を望まない人は社会が代わりにやってくれるようになればいいと思う.もちろん,そのインフラの上でファイナンスや経営をハイレベルに楽しむことは自由だ.
そんな世界に向かうために今はまだファイナンスと経営が必要なのだ.
// マインドについては下記を参照されたい