ポテサラと、ママの「見えにくい日常」
子育て中の私(新聞記者)が大切にしてきたのは、家事育児など日常の「見えにくい営み」を言語化することです。
ウェブメディアが急増し、たえまなく記事が発信されるようになった昨今。どういう記事を書けば、多くの人に読んでもらえるのでしょうか?ウェブ向けに原稿を書く私も、この難題と向き合いながら、試行錯誤しています。
先日、ツイッターは、「ポテサラ」ツイートが話題になりましたよね。
幼児を連れた女性が総菜パックを手にしているのを見た高齢の男性が「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言い放ち、立ち去った。娘と一緒にいた投稿者は「大丈夫ですよ」と念じつつ、総菜パックを手にしてうつむく女性の目の前でポテトサラダを2パック、手に取った――。
このツイートをきっかけに、「ポテサラ論争」が巻き起こりました。
「ポテサラは作るのに手間がかかるのに!わかってない!」という声も多数。分かります。私も疲れているときにポテサラを作り始め、ジャガイモをつぶしながら息切れしたことがあります。そのときは、自らの判断ミスを呪いました。(それ以来、作ったことはありません)
でも、私が一番伝えたかったのは、「家事育児の現実を知らない高齢男性が、育児を頑張っているお母さんに、的外れな説教をした」構図が、分かりやすく言語化されたこと。その思いを込めて書いたのが、この原稿です。
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」 ツイートが大反響を呼んだ三つの視点
想像以上に読んでくださる方が多く、記事は英訳もされました。ただ、ポテサラそのものを「ネタ」として消費する風潮は、ちょっと残念でもあります。ポテサラ作りをめぐる「極端な分断」も悲しいです。みなさんは、どのように思われますか?
原稿は、対話の中で洗練されていきます。私が開く7月29日のライター塾@オンラインでも、そのような時間を持ちたいと考えています。ぜひ、ご参加ください。一般のママのご参加、大歓迎です!お申し込みはこちらです↓