【スピーチ】反絆主義の水平的コミュニティのために
5月9日新宿アルタ前で行われた「自由と生存のメーデー2020」にて、アピールの機会をいただきました。権力を拒否するすべての皆さんと共に考えていきたい問題です。
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みなさんこんにちは。アナーカ・フェミニズム・グループ紅一点の名波ナミです。
「コロナウイルスに右も左もない」とか「We are all in this together/今みんなが同じ危機にある」という言い方が、この社会、SNSとかを含めて溢れていますが、私はそれは違うと思います。
コロナ騒動が明らかにしたのは「この社会には命の優先順位がある」ということです。
例えば、入管に収容されている在留資格のない、ビザが切れただけの外国人の人たち。
入管の収容施設は「三密」そのものの状態で、人々が予防も医療もないまま放置されています。
いつまで経っても払われない給付金10万円も、(10万円じゃたりないのに!)世帯単位で払われるという。世帯主に、つまり主にその家族のお父さんに払われるのです。
また、在留資格のない外国人には、一銭も払われません。
子供のいるセックスワーカーには休業補償が支払われないという話もありました。(これは当事者団体の訴えで改善されましたが)。
夜の仕事は軒並み客が来なくなって、私も、私のセックスワーカーの友人たちも、いま全く仕事がありません。
こうやって困窮すれば、いくら条件が悪くても、感染が怖くても、外に出なければいけません。
逆に家に閉じ込められれば、家父長制的な暴力から逃げることができません。
女性が受け持つことが多いケア労働の分野は、予防も、補償も、ありません。
障害者福祉の分野で働く友人たちにとって、ソーシャルディスタンスなんて別世界の話です。
ステイホームも、ソーシャルディスタンスも、特権だ。
コロナ問題は、階級問題であり、差別の問題です。
逆に、差別と貧困が無ければ、こういう新しい怖いウイルスが出てきたところで、ここまで問題になっていたはずありません。
医療費が無料だったら、
だれでも検査と治療が受けられたら、
貧困や不安定労働がなければ、
家賃がなければ、
光熱費がなければ、
借金がなければ、
戦争やオリンピックがなければ、
入管や監獄がなければ、
社会はこのウイルスに対してもっと有効に対処できたはずです。
それができないのは何故でしょうか?
資本主義と、国家と、家父長制、それらが作り出す階級、ヒエラルキー。それが私たちを苦しめているからです。
今すぐ、毎月、全員に30万出せ! ……私たちはこのスローガンに賛成します。
でも、私はもっと進んで、なんで「毎月30万出せ」と言うのか、それをもっと皆さんと一緒に考えたい、共有したいと思います。
私は命に優先順位をつけない世界を見たいから、30万出せと言います。
今の、こんな社会に生きてるのはもううんざりです。こういう風に命の優先順位をつける社会だから、私たちは今こうやって危険にさらされてるんです。
財産を持っているかどうかに関わらずすべての人が検査と治療を受けられるようになるまで、
労働者が病気になっても家賃の支払いを強制されるなんてことが無くなるまで、
社会的な資源が、警察や監獄やオリンピックや戦争なんかに振り分けられず、私たちの医療や住まいに振り分けられようになるまで、
私たち全員が確かに危険に晒されています。
それを誰の目にも明らかにしたのがこのコロナウイルスです。
もう元の世界には戻れません。
いまから、みんなで、新しい世界について考えたいと思います。
さっき発言がありましたが、この運動の中の、ファシズムや、右翼や、差別の問題について考えたいと思います。
私たちは1年ほどまえ、運動のなかにある女性差別やマイノリティへの差別が私たちを分断し、このコミュニティ全体の弱さをもたらしているという問題意識をもって、「紅一点」というグループを立ち上げました。
今皆さんに言いたいのは、「コロナウイルスに右も左もないから、偏見を持たないで右翼の意見も聞いてみよう」とか「立場は違うけど、この課題について共闘できるからいっしょにやろう」とか、そういう考え方で運動を作り上げていくのは間違いだということです。
そこまで考えてなくても、なんとなく右翼は嫌だと思いながら、いつの間にか自称右翼とか、自称ファシストだとかいう人が、この運動の場にもなんとなく入ってきていて、それでなんとなく話してみたら「意外と悪い奴じゃないな」とか思っちゃって、なんとなく人間関係ができちゃって、「立場は違うけど、根は良い奴だから」とか言われたりして「確かに…(?)」とか思ってしまったりします。
良好な人間関係というのは断ちづらいです。人間は人間関係には勝てません。
なんとなく近づいてきて、なんとなく人間関係ができて、何となく右翼が入ってくるっていうのは、この運動の自殺だと思います。
これは「人間関係に絆(ほだ)される」ということです。「ほだす」というのは「絆」という漢字を書きます。
ファシズムの語源は「絆主義」と言うそうです。安倍総理は「敬意、感謝、絆」があればコロナに打ち勝てるなんて言っていますが、あの、安倍総理の大好きな「絆」です。
「右寄り」の人って、こういう絆とかいって、義理人情とか、親分子分関係みたいのを作りますが、何となくそこが「情に厚い」感じがして、何となく人間関係ができてしまいます。それを、私はやめようと言いたいです。
何でそんなことになってしまうのかなと考えたのですが、私たちが、周りの、本来仲間であるはずの左翼の人たち、権力を拒否する人たちと、なぜか今までうまく関係を築いてこれなかったということが、問題としてある気がします。
義理人情とか親分子分関係とかでなんとなく仲良くなる、そういう疑似家族的な、家父長制的な人間関係の作り方って、この社会にもうガッチリと根付いちゃってて、私たち自身を形作っています。だから、そうじゃない関係性を作ろうとしても、何をどうすればいいのかわからないっていう状態に、今、私自身も、あります。
それで、なんか情に厚い感じのする右翼の人とかと出会っちゃうと、なんとなくそこに吸い込まれて行ってしまうんです。
なので、これは右翼の問題、右翼を許さないってだけの問題ではなくて、私たちのコミュニティがとても弱いということだと思うんです。
そういう「人間関係に絆される」ような形じゃない、深い集合的な信頼関係の大事さというのは、今まで私たちが見過ごしてきたものだと思います。
運動をやってても、子分をいっぱい従えたボス猿みたいな人たちと出会うことがたくさんあります。そういうことについて問題提起をしたいんです。
そもそもファシズムというのは人を人として見ない思想なのだから、こっちがいくら「同じ人間なのだから話し合えばわかる」とか思っても、こっちの誠意をむこうの「人間関係構築」に利用されちゃうだけです。だから、いま私たちを見殺しにしようとしている右翼の絆、私たちを見殺しにし、外国人を虐待し、セックスワーカーを殺している右翼のファシストの言う絆、私たちを殺す絆にほだされない、ということを、皆に呼び掛けます。
そしてその上で、家父長制的じゃない、親分子分とか、兄貴弟分とか、疑似家族的な家父長制的な「親密な上下関係」を含まない関係性がどういうものなのか、どうすれば仲間との間にそういう集合的な信頼関係を築けるのかっていうことを、いま、紅一点として、考えたいと思っています。
内なるファシズムを、皆で乗り越えていきたい。
単なる空疎な掛け声・スローガンとしてじゃない「連帯」とか、「団結」とか、「仲間」というものを、私たちの間で実現したい。
水平的な親密さってどういうものなのか、皆で話し合いたいです。
どうすれば、連帯するべき人と、意見の違いを乗り越えて対話して、強いコミュニティを作れるでしょうか。
どうすれば、右翼・ファシスト・差別者を、「話せばわかる」という罠に嵌らずに、私たちのコミュニティから追い出すことができるでしょうか。
どうすれば「意見は違うけれども連帯すべき人」と「その場にいることを許してはいけない右翼やファシストや差別者」を間違えずに見分けることができるでしょうか。
私は、「紅一点」は、それをこれからみなさんと議論したいなあと、思っています。
会場の端っこに、黒づくめの私がいますので、よかったら皆で声をかけて、こういう話をしてみたいなと思っています。よろしくお願いします。
紅一点のツイッター@co_ittenn
紅一点のメールco_ittenn[あっと]protonmail.com
↓紅一点のスピーチは35分からです。(自由と生存のメーデー2020集会アピール:雨宮処凛/小倉利丸/杉原浩司/アナルカ・フェミニズムグループ紅一点/渋谷区の路上の自由を守る会)