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【ビラ】ファシズムは絆されイズムだ――内なるファシズム問題

同じく5月9日自由と生存のメーデーにて配ったビラです。

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「コロナウイルスに右も左もない、偏見を持たないでファシストや右翼の意見を聞いてみよう」とか「立場は違うけど、この課題については共闘できるから一緒にやろう」とか考えちゃう人はいませんか? 「相互に批判することで高めあっていけるのでは…」とか。いやそもそもそこまで考えてなくて、なんとなく右翼はイヤダと思いつつ、自称右翼が何となくその場に居て、何となく話してみたら悪いヤツじゃなくて、なんとなく人間関係ができて、「立場は違うけど、根はイイヤツだから」とか言われちゃったりして。「確かになあ」とか思ったりしてしまう。良好な人間関係ってのは断ちづらい。人間は人間関係には勝てないのだ。
でも、それって、「絆されイズム」。ファシズムの語源は「絆主義」って知ってますか? そう、あのアベソーリが大好きなあの絆です。イヤなことに、「右」寄りの人って義理人情・親分子分関係をきちーっとしてたりするから、なんとなく“情に厚い”というか、そこがまたミリョク的に見えたりしますね。それというのも、周りの左翼たちとうまいこと関係を築けないという問題がある気がします。(私だけ?)義理人情とか親分子分関係って、つまり疑似家族みたいな家族的な親密な上下関係って、右翼に限らず、そこら中にあふれてて、私たちの社会にガッチリ根付いちゃってます。だから、そうじゃない関係性を作ろうとしても、何をどうすればいいのか、上手く想像もできない。だって見たこともないんだもの。運動やってても、子分をいっぱい従えたボス猿みたいな人が仕切ってる場いっぱいありますよね。そういう「人間関係に絆される」カタチじゃない、深い、集合的な信頼関係の大事さというのは、今までどうも見過ごされてきたように思う。そういうのナシで、組織を作って運営してるやつがエライとか、文章がかけて発信力があるやつがスゴイとかやっていても、親切で一緒に酒飲んで楽しい面倒見の良い右翼がススッと入ってきたら、何となくそっちへ流れてしまう人がいるの、当たり前だと思う。
そもそもファシズムというのは人を人として見ない思想なのだから、こっちがいくら話しあおうと思っても、こっちの誠意をむこうの「人間関係構築」に利用されちゃうだけ。巻き込まれたらダメだ!! いま私たちを見殺しにしようとしているのはウヨクのファシストだ。入館で外国人を虐待し、セックスワーカーを殺してるのは右翼のファシストだ。その絆は私たちを殺す絆だ。絆されないで。
それを今みんなに呼びかけたい。そして、その上で、家父長制的なもの、義理人情、親分子分、兄貴弟分みたいな、疑似家族的親密な上下関係みたいなものを含まない関係性がどんなものなのか、どうすれば仲間との間にそういう集合性を築けるのか、ということを考えてみたいです。

【よびかけ】
・内なるファシズムを乗り越えよう
・空疎な掛け声としてじゃない「連帯」「団結」「仲間」を私たちの間で実現しよう。
【といかけ】
・水平的な親密さってどんなもの?
・どうすれば連帯するべき人と意見の違いを乗り越えて対話し、強いコミュニティを作れるだろうか?
・どうすれば右翼・ファシスト・差別者を「話せばわかる」の罠にハマらずに私たちのコミュニティから追い出すことができるだろう?
・どうすれば「意見は違うけど連帯すべき人」と「その場に居ることを許しちゃダメな右翼・ファシスト・差別者」を間違えずに見分けられるだろう?
皆さんと議論したいです。

※エラソーにいろいろ書いていますが、私は長い間ウヨク、ファシスト、差別者にほだされ、ナアナアにつきあってきました。そのことで運動に居られなくなる人がいたと思います。本当にごめんなさい。差別とファシズムへの加担を自己批判していく必要があります。もし私に対してご指摘して頂けることがあれば、伝えていただけたらとても幸いです。

文責:名波ナミ

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