もう当たり前じゃねえんだ(涙)
もう3月も半分終わってしまいました。
時が経つのは本当に早い。
家でゴロゴロしていると時間が経つのはあんなにも遅いというのに、気づいたら月の半分が経っておる。
学生達はコロナの影響で卒業式が縮小、延期になっているとか。
相当辛いと思います。
悔しさをぶつける敵が存在しないやるせなさ。
どうしようもできないので僕の卒業式に関するの話をしませう。(話したいだけ)
僕は卒業式などのしめっぽいものにとても弱い生物でしてね。
クラスが変わる時期(だいたい2、3月中)は、そのクラスのそれまでの思い出を振り返って感傷に浸っていました。
そのくせに4月はガチで自分の新クラスが満足いかなくて、前クラスの友達とつるんだりして、新クラスのお前らとは交友関係が違うんだぜ〜アピールなんかしちゃってました。
学校というのは不思議なもので約一年同じ集団としてすごすと、各クラスの色が出てくるんですよね。
他のクラスに入った時のなんか違う感はそれから生じます。
で、それに慣れちゃうと
もう僕は他のクラスではダメなのです。
自分のクラスが大大大好きになっているのです。
まだクラス替えはいいですよ。
卒業はガチで会えなくなります。
それまでの人生ほとんどを共に過ごしてきた集団は、卒業式の日をもってもう集まることはほとんどありません。
卒業式はクラスで一番泣いてましたね。
式中は全然涙は出ませんでした。(泣く方がいいだろうと思って、あくびをトリガーにして泣いたろうと試みるが不発)
ラストの合唱でおそらく決壊寸前だったの僕の涙腺が崩壊しました。
何度も練習で歌ってきた大好きな曲なのに、涙が出すぎて歌えませんでした。
そこからはもうずっと号泣してましたね。
例えるなら赤ちゃんくらい泣いてました。
その日からです。
僕が映画や漫画で号泣するようになったのは。
一度決壊した僕の涙腺というダムは、2度と修復されることはありませんでした。
卒業というのは、それまで当たり前のように毎日会っていたクラスメイト、同級生、仲の良い友達、喋ったこともないけど毎日見ていた人にも会えなくなってしまうということです。
別にそんなに仲良くない奴ですら、あの日は感慨深く感じました。
当たり前が当たり前じゃなくなるのが僕は本当に悲しい。
当たり前の通学路や、いつも文句ばかり言ってた先生、だるかった部活なんかが全て、なぜだろうか愛しく思えてきてしまいます。
別れってそうゆうことですよね。
当たり前にあった人やものが、いなくなる。
最近の僕はそれが顕著でして、遊んで友達とバイバイするときが涙こそ出ませんがめちゃ寂しいです。
二十歳前でこの症状ですから。
末恐ろしい。
こういう感情を抱くようになってからは、普通の楽しい日常を過ごしている時も、
この日常はのちに未来の自分が本当に戻りたいと思えるような素晴らしい時間なんだ、とたまに思うことがありますね。
今という瞬間に感謝できるようになったのは、なんか人間が成長したように感じます。
ありがとうの逆は当たり前、と言われていますが、これはマジです。
自分が心から恋しくなる、戻りたくなる日常を過ごせていることに感謝しませう。