Breath story 4
私の仕事は尋常ではないスピードで毎日が追われていく。
マルチタスクの速度にうまく乗れない人は、相性が悪いと判断される、そんなシビアな環境だ。決してつまらない仕事ではないにせよ、自分の意に反して就職をして3年、これが与えられた環境なのだから贅沢は言わないと心に決めている。
私は真面目だ。
真面目なのは認めるけれど、いつも頑張っていると言われる。
頑張らないと評価されない生活をしていた私にとって、頑張らない私は私ではなく価値がない。
頑張って当たり前、お気に入りにならないと望む仕事スタイルは確立されない。
そんな環境の中で踏ん張って踏ん張って、ポキポキ心がおれそうなときは拾い集めて、またくっつけて、折れても折れてもなんとかやってきた。
体が辛い、と感じたときは悲鳴を上げていたのかもしれない。
あの時立ちくらみがして、あぁもうダメだと思った時に後ろから声が聞こえた。
男性の声だった。少しだけ恐怖を感じながらも、大丈夫です、と言おうとしたときに娘が現れた。
娘から言えば、私は警戒心がない。
そして、もうママの悲しむ顔を見たくないとも。
***
僕の背中越しに、声が聞こえたとき、誰だか分からなかった。
それもそうだ。だってまともに会話なんてしたこともないし、まともに顔を合わせたこともないのだから。
「先日はありがとうございました。」
「もう具合いいんですか?」
大丈夫ですと言うその声には少しの張りもなく、逆に心配になった。
「親切に声をかけてくださったのに、娘が失礼なことを・・・」
「あーあれ・・・いいんです。僕が無頓着すぎました。僕の方こそごめんなさいと謝っておいてください。」
とても丁寧にやりとりをした。言葉一つ一つを慎重に選んでいる様子がうかがえる。それはきっと僕が初対面と同等であると言うことも理由の一つではあるだろうけれど、どこか、なんだろう、違和感も感じた。
「じゃあ、これで、失礼します」
待って、咄嗟に口にしてしまった。同じマンションですし、お互い様だし、なんて理由をつけて思い切って名前を尋ねた。 口をキュッとしめているのがマスク越しでもわかるくらい、少し罪悪感も感じた。
「あの・・・娘が言ってました。その・・・あの・・・」
「僕が芸能人だってことを、ですか?」
小さくうなづき、恐れ多いです的なリアクションをして見せた。
「同じじゃないですか」
「え?」
「仕事をしてお金をいただく、って言う意味では」
「それはそうですけど」
「頑張ってって毎朝言ってましたよね?」
とんでもなく恥ずかしそうに耳を真っ赤にして、俯いた。
そして、私みたいなおばさんが頑張ろうなんて口にすること自体間違っているけれど、言わずにはいられない毎朝だし、それに、こんなふうに息子でもいいくらいの歳の子に話しかけられるって犯罪になるんじゃないかって、と次々にこぼれていく。
「僕は、大貴です。あなたのお名前を教えてください」
「私は・・・
そう言って、言葉を濁して、今後ともどうぞよろしくお願いします、と頭を下げて僕より先にエレベーターの箱の中へ消えていった。
聞き損ねた、と苦笑いして、僕もまたエレベーターを待つことにした。
足元に落ちていたのは、恐らくあのヒトがつけていたもの。ヘアゴムに、くるみボタンにMの刺繍、小さい子が作った的な、娘さんかもしれない、大事なものじゃんん・・・
大切にポケットにしまって、いつか渡そう。
いつか今度は笑顔で渡そう、と決めた。