「〇〇に似てる」と思うことが増えたら、おじさん・おばさんになった証拠

最近、「〇〇に似てるね」「〇〇っぽいね」と言うことが多くなっていることに気付きました。

梨泰院クラスのヒョニ役の俳優さんを見ては「小松菜奈さんに似てるね」と言ってみたり、ボーンコレクションを読んでは「結界師っぽいね」と言ってみたり。何かに初めて触れるとき、自分の知っているものの中から無理にでも似たものを探そうとしてしまいます。

もちろん、ヒョニ役の俳優さんはイ・ジュヨンさんであって「小松菜奈さんに似てる人」ではないし、ボーンコレクションは雲母坂盾先生が描いているオリジナルの作品であって「結界師っぽい漫画」ではありません。考えてみればわかることですが、「〇〇に似てる」というのは、本人を蔑ろにしたかなり失礼な考え方です。

頭では分かっていても、物事の本質的な部分に目を当てる前に、自分のなけなしの知識に照らし合わせ、似ているものを無理やりひっぱり出すというステップを無意識のうちに踏んでいます。「〇〇に似てる」と思ってしまった時点で先入観が生まれ、本質的な部分が見えにくくなってしまうので、これは物事に向き合う姿勢としては最悪です。

とは言っても、自分の知識と照らし合わせること自体は、物事を素早く把握するという面においては有効です。それに、真の意味で先入観なく物事に向き合うと言うことは不可能だと思うので、多少は仕方ないと思います。しかしながら、「〇〇に似てる」「〇〇っぽい」という考え方に、年々とらわれやすくなっていっている感覚がしているのです。これが、歳を取ると言うことなのでしょうか。

10代の頃は、ことあるごとに昔の音楽やアイドルの話をするおじさん・おばさんたちがちょっと鬱陶しくてこうはなりたくないなと思っていたけど、気づけば自分も、鬱陶しいおばさん側になってしまっていました。

先入観をゼロにして物事を見つめるのは無茶な話かもしれませんが、何事も新鮮に感じられていた10代のころのように物事と向き合って行けたらいいなと思います。

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また、話はちょっとずれますが、良かれと思って相手に「〇〇に似てるね」と言ってしまうのも要注意です。私は前に、大学のゼミの同期に「〇〇に似てるね」と言ってしまったことがあるのですが、「〇〇に似てるって言われるの嫌なんだよね。私はオリジナルだから!私は私以外のなんでもないから!」と言って叱られてしまいました。

叱られたことによって、誰かに似ていると言うのは褒め言葉ではないと気づかされました。それは似ている誰かを褒めているだけなのです。本当にその人がすごいと思うなら、誰かの面影としてではなく、その人のそのままを自分の言葉で褒めなくては、相手にとても失礼になるのだと今では思います。

だから、「〇〇に似てる」と思ってしまっても、そこをグッと押し殺して、自分なりの表現に変えてから伝えることが大切なのです。そうは言っても、ふとした時、言ってしまいそうになるのを我慢するのは結構難しいことなんですけどね。

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こ林
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