歌で心を豊かに。あなただけの『縁側コンサート』
普段皆さんは、どれくらい音楽を聴いていますか?好きなアーティストの歌。よく見るテレビ番組の中で流れる音楽。お気に入りのカフェのBGMなど・・・。意識していると普段の生活の中で、色々な音楽がご自身の周りにあふれていると思います。
今回取材をさせて頂いた表現者の汰生喜-Taiki-さんは、音楽とともに人生を歩んでこられました。その音楽で「元気のない方を、少しでも元気づけることが出来たら」という想いから始まった『縁側コンサート』。実際にご自身の想いとともに、縁側コンサートの様子などお話を伺わせていただきました。
——今回ご提案された『縁側コンサート』は、どういった方を元気づけるために始められたのでしょうか?
縁側コンサートは、普段外出がままならないご年配の方や病気で寝たきりの方のもとへ出向き、歌を届け、少しでも聴いてくださった方に元気になって貰いたい、という想いから始まった活動です。雲南市の三刀屋町では2021年7月に豪雨被害があり、また、世界的には新型コロナウイルスの感染拡大などがあり、『自粛』というのが板についてしまい、ご自身の身体の状況に関係なく思うように動けない方が沢山いらっしゃいます。「ご年配の方や病気の方だけではなく、コロナや災害で閉じこもってしまって、元気が出ない、コンサートに来られないという方を対象に、自分の得意な歌で元気を届けたい」という想いでいました。
——コロナ禍で普通の外出も出来ず、さらには「楽しむ」こと自体も自粛しないといけない感じもありましたね。
もともと島根県は過疎化の影響もあって、なかなか出歩くことやアートに触れる機会などが少ない環境の中にあると感じていて、そんな中でも『楽しめることを増やしていって、継続的な芸術表現を生み出していく』という事を僕自身の島根に移住するにあたっての一つ目標として持っていました。
僕は、仕事として歌を歌っているというのもあるのですが、そもそもの芸術表現をやる時点で、その表現で誰かに幸せになってほしいという考えが根本にあります。移住をしたころ、「田舎ってどうやったら歌を聴いてもらえるのだろう?おじいちゃんおばあちゃんは出かけるのも大変だろうしなぁ・・・。」と考えていました。そのうえ、当時はコロナ禍という状況。僕自身の活動の仕方にも悩んでいました。
でも、移住して2か月ぐらいしたときに「自分から歌を求めている人のもとへ突撃したらいいんだ!」と思いつきました。
直に芸術に触れたいと思っていても、その場に行きたくても行くことができない人っておられるのではないか。それならば、その人のもとに出向きたい。そんな、とてもシンプルな思いがきっかけでした。さらに自分の歌とか表現は、苦しんでいる人にこそ届けたいとも思ったんですね。少しおこがましいかなって思ってしまうのですが、それでも救いを求めている人っておられるんじゃないかって。でも、救ってもらう機会がない人もいるんです。だから、できるだけ僕の方から出向いて、何か元気が出るきっかけになれたらなと思っていました。究極のおせっかいですよね。少しおこがましいかもしれませんが「やりたい」「やってあげたい」と考えていました。
いろいろ忙しくなってすぐには実現できなかったのですが、1年くらい経って、「僕の考えたおせっかいを求めている方はいらっしゃらないですか?」とおせっかい会議のメンバーさんに相談しました。そしたら「じゃあ、おせっかい会議にかけてみましょう。」とその方が提案して下さりました。その方と知り合ったのは島根の劇団関係の仲間の中に、おせっかい会議のメンバーさんがおられて、その方にご紹介していただいて知り合うことが出来ました。
——おせっかい会議に相談を持ち掛けたことで、活動にどのような効果がみられましたか?
おせっかい会議では、主に地縁を得ることが出来ました。僕の歌を雲南の方々にも届けたいと思っていたのですが、Iターンで島根にやってきたという事もあり地域の方の知り合いも少なく、どうしたら良いかと戸惑っていたところがありました。ですがおせっかい会議に提案する際、「雲南の方との地縁が欲しい」という事をお伝えしたところ、どんどん雲南での知り合いもでき、色んなご縁が数珠つなぎに増えていきました。そして僕の歌を届けたい雲南の方にも、歌を届けることができたと思います。
——汰生喜さんの歌を聞かれた方の中には、どのような方がいらっしゃったのですか?
様々な方がいらっしゃいますが、最初はお試しとしてCommunity Nurse Companyの拠点である「みんなのお家」で歌わせていただきました。他には、おせっかい会議のメンバーさんにご紹介いただいて地域の介護支援センターに出向いたりもしました。実際に縁側コンサートの名前通り、個人の自宅に出向いてその方だけの為に歌を届けにも行かせていただきました。中には病気のために、ご自宅のベッドから出て動くことがなかなか難しい方もいらっしゃって、その方の為にも歌を歌いました。その方は歌が大好きなおばあちゃんで、美空ひばりさんの「川の流れのように」を歌うと、僕と一緒に歌を口ずさんでくれていて、なんだかおばあちゃんと目を合わせたら僕の方が泣いてしまいそうでした。歌を聞いてくださる皆さんの笑顔に、僕自身も救われています。
——歌を一緒に口ずさんでしまうほどの汰生喜さんの素敵な歌。聴いた方は心から感動しておられたと思います。
みなさん「良かったわぁ」って言ってくださっていました。聴いてくださった方の中には「またコンサートをしてね」といってくださる方もおられ、さらには「何か困ったことがあったら相談してね」といってくださる方も。
雲南市の豪雨被害のひどかった鍋山地区の『ちょんてごカフェ』で縁側コンサートをさせていただいたこともありました。そこで活動されているスタッフさんはボランティアで活動をしておられます。そんな魅力的でパワフルな方々に囲まれて縁側コンサートをさせてもらい、終わった後には美味しいご飯もご馳走になったりして。利用者の方もスタッフさんも、僕の歌を聴いて少しでも明るくなってもらえたかなって思います。
——ご自身の歌を聴いてくださる方の「元気」を引き出すために、普段心がけておられることはどんなことがありますか?
僕の表現を通して、自分自身の素晴らしさを思い出してほしいって思っています。誰一人としてこの宇宙からかけてしまったら成り立たない。それぐらい、一人一人素晴らしくて貴重な存在であると感じてもらえるように、普段の活動のモットーにしています。歌で喜びを感じてもらい、思い出に残るものを届けていきたいです。ネガティブな時に思い出し、少しでもポジティブな毎日を送れるお手伝いをしたいですね。
——すごく前向きな汰生喜さんの言葉に、私もお話を聞いているだけで元気が出てきます!
僕は以前劇団四季をやめた後、本格的に舞台の勉強をするためにイギリスに留学をしたことがあります。当時は「世界的な役者になりたい。どんなスキルも磨こう」という気持ちでがむしゃらに頑張って、役者としての人生を極めることだけを考えていました。ですがイギリス留学を前にして、自分の人生を見つめ直す大きな機会が訪れて、実際にイギリスに行ったときには「このままの道でいいのか。」と本気で悩んでいました。さらには色んな事が積み重なって気持ちが落ち込んでしまったこともありました。
そんな中でも色んな出会いがあり、自分の中で「僕ができることで、世界を、日本を元気にしたい」という気持ちが芽生え始めました。留学して外から見た日本はふたを開けてみたら、一見豊かに見えるけど若者の自殺者数が多いとか、都会のあり方とか田舎のあり方に関する問題とか、過疎が進んでいるとか、よりはっきりと日本の抱える山積みの課題が見えてきました。そういう意味でも、日本に帰って日本を元気にしたい。そして日本の元気が自分の元気にも繋がるって思いました。
——身体の健康だけではなく、心の健康の部分も同じように大切にしていかないといけない事ですね。
今後も僕の歌を求めている方のもとへ、縁側コンサートとして出向いていくことも続けていきたいと思っています。難しいこともやり方を工夫すればできることはあります。縁側コンサートで誰かを元気づけることができました。でも、お年寄りの方だけではなくて、色んな方が勇気を出すきっかけにもなれたらなとも思います。若い世代の方もリスペクトしていて、僕自身はもう古い世代だと思っており、どんどん新しい人を応援していく姿勢も見せていけたらなと思っているので、縁側コンサートにどんどん若い世代の方も来てくれたらいいなって思います。
とてもまっすぐでどこか心の奥底に熱意を感じる目で、お話をしてくださりました。
汰生喜さんの歌を聴いた方の中には、「はじめてこんな素敵な歌声をきいた」「本当に良かった」「心が感動した」と、涙を流しておられる方もおられました。
ご自身のもつ得意な事や魅力的な部分を、「おせっかい」として発揮されることで、少しづつ色んな方へと繋がっていき、心の健康を作り出していく。一人ひとりできることは違えど、だからこそそれぞれに出来る素敵な「おせっかい」があるという事を、汰生喜さんから教えて頂きました。
ライター 河田知佳