光と存在
(OBI-1さん)
https://twitter.com/okupolt242/status/1808763539311710567
(月夜の返信)
旧約聖書編
darkness は dark matter、言葉の使い方がとても似ています。
旧約聖書創世記の冒頭を下に載せます(1:2と1:5は私が意訳をしました。)。
1:1で天と地を作った時にダークネス(やみ)によって天と地を作ったようです。その中から光を作ったように受け取れます。
1:2でダークネス(やみ)は神の霊であるように受け取れます。
1:3で光を作られた。これが光る光で、先のダークネスが光らない光なのでしょう。ということは素粒子とされている光子がここで初めて登場すると言えます。素粒子に関しては、https://higgstan.com/basic01/ 参照。
1:4では、神様は 1:3で作った光に満足なさり、光をダークネスから分離させた。
以上から、光る光が存在する領域dayとは何なのか?これが現界だと私は考えています。ダークネスの領域があの世(幽界と中有界)ではなかろうかと考えています。
*旧約聖書創世記の冒頭引用*
1:1はじめに神は天と地とを創造された。
(In the beginning God created the heavens and the earth.)
1:2地球は形なく、うつろであった。ダークネス(やみ?)が海原の表面を覆っていた。神の霊が海の表層に漂っていた。
( Now the earth was formless and empty. Darkness was on the surface of “the deep”. God's Spirit was hovering over the surface of “the waters”.)
1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
( God said, "Let there be light," and there was light.)
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。(God saw the light, and saw that it was good. God divided the light from the darkness.)
1:5神は光を日(day)と名づけ、やみを黄泉(night)と名づけられた。そこには、夕があり、朝と1日があった。
(God called the light "day," and the darkness he called "night." There was evening and there was morning, one day.)
[旧約聖書引用終わり]
新約聖書編
ヨハネによる福音書引用
第1章
1 初はじめに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共ともにあった。言(ことば)は神(かみ)であった。
2 この言(ことば)は初(はじ)めに神(かみ)と共ともにあった。
3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
4 この言(ことば)に命(いのち)があった。そしてこの命(いのち)は人(ひと)の光(ひかり)であった。
5 光(ひかり)はやみの中なかに輝かがやいている。そして、やみはこれに勝(か)たなかった。
6 ここにひとりの人(ひと)があって、神(かみ)からつかわされていた。その名(な)をヨハネと言いった。
7 この人(ひと)はあかしのためにきた。光(ひかり)についてあかしをし、彼(かれ)によってすべての人(ひと)が信(しん)じるためである。
8 彼(かれ)は光(ひかり)ではなく、ただ、光(ひかり)についてあかしをするためにきたのである
[ヨハネ福音書引用終わり]
神=言葉=命=人の光
ヨハネが「この人」について説明しているのが7、8ですね。ヨハネが紹介している方といえばキリスト様です。ヨハネははっきりとこの人(キリスト様)は、光ではなく光について証しをするために、人間の世界に来てくださったと書いてあります。
(月夜の返信)
1:2から光らない光(ダークネス)は神様の霊と考えられるのですが、1:3
で作られた光る光も、ダークネスから現れ分離したとなると、ダークネスも神の霊の可能性が考えられます。なるほど、OBI-1さんの教えてくださったことは、よく読むと聖書にも書いてあるんですね。
まとめ)
この世の中の光は存在である
しかも、存在とは創造神様であられる。