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奈良クラブ残留争いの渦中における心の軌跡
1. 序章
2024年、J3リーグ奈良クラブの戦いが終わった。
結果は7勝18分13敗、勝点39で17位。
昨年、J参入初年度で見せた5位という快進撃から一転、J2昇格を目標に掲げた今季は降格争いに巻き込まれるシーズンとなってしまった。
JFL時代から10年間に渡って応援し続けた私にとっても、リーグ戦でここまで追い詰められた経験は初めてであり、残留争いの渦中、私の心は終始揺れ動き、疲弊し、そして苦しんだ。
その中で私が経験した感情の揺れは、まるで人が死を受け入れる際に通るとされる「死の受容プロセス」のような軌跡を描いていたのである。
2. 心の軌跡:5つのステージ
(1)否認:希望という名の現実逃避
最初は現実を受け入れたくなかった。
「次の試合で立て直せる」「まだ可能性はある」と自分を騙し、
「怪我人も多いしメンバーも多数入替ったのだから、今季はプレーオフ圏内に入ればよい」「トップハーフに入るだけで十分」と昇格目標についても無理やりハードルを下げて希望を見出そうとした。
しかし、試合結果が積み重なるにつれ、そのごまかしも次第に打ち砕かれたのである。
(2)怒り:向け場のない感情
否認が崩れると、怒りが湧き上がった。「なぜこんな状況に陥ったのか」「もっと早く監督を変えるべきだった」と監督や選手、クラブ全体に苛立ちを覚えた。
さらには、「たかが趣味にここまで心を乱される自分自身」にも怒りを向けた。
一方で、怒りを声に出すことで自己肯定感を得ようとする場面もあったが、自分の叫び声がこだまのように虚しく響くだけのようだった。
(3)取引:自分勝手な妥協条件
次に訪れたのは取引の段階。「次の試合に勝てばまだ可能性はある」と条件を設定し、自分を安心させようとしたが、その条件も試合結果とともに崩れ、深い落胆を繰り返した。
ついには、「今シーズン、自分がスタジアム観戦をした試合は負けないから、これからは無理をしてでも行こう」というオカルト的な考えにすがったが、その決意をした初戦、FC大阪との生駒山ダービーで敗戦。
心が折れる音が聞こえたような気がした。
(4)抑うつ:無力感との対峙
取引が破綻し続ける中で、私は無力感に苛まれた。
「もうだめだ」「奈良クラブは降格してしまう」と悲しみに沈み、試合観戦自体が恐怖やストレスに変わっていった。
スタジアムに出向く気力はほとんど失われてしまっていたが、試合だけはDAZNで欠かさず観戦していた。
不安と絶望の日々が続いた。
(5)受容:留まらない覚悟
最終的には「降格しても奈良クラブは奈良クラブだ」と自分に言い聞かせ、受容の気持ちにたどり着かせるのだが、それは絶望からの逃避行動でしかなかった。
そんな受容が長続きするはずもなく、状況の変化とともにまた否認や怒りに引き戻される。
さらに、この5段階は一度で終わるものではなく、私の心は何度もこの過程を繰り返した。
3. 繰り返しと疲弊
こうしたプロセスを日々繰り返しているうちに、私はどんどん疲弊していった。
SNSで他のサポーターの意見を目にするたびに否認や怒りが湧き、抑うつや受容に至るまでを何度も行き来する。
心が休まる暇はなく、「たかが趣味でなぜここまで」と自分を嘆いた。
スポーツ観戦は喜びや感動を与えるもののはずが、今シーズンは苦痛やストレスとなり、自分自身を追い込む原因となっていた。
4. 他のサポーターに対する摩擦
さらに、この揺れる感情は他のサポーターにも向けられた。
怒りのときには楽観的な意見に苛立ち、逆に希望を抱こうとしているときには悲観的な声に傷ついた。
情けないことに、同じクラブを応援する仲間に八つ当たりのような感情を抱いてしまうこともあったが、それらは結局、自分の揺れる心情を映し出した投影に過ぎなかったのだ。
5. 残留決定の瞬間
結局のところ、奈良クラブは37節のホーム最終戦で残留を勝ち取った。
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、私は声を上げて喜んだが、感情としては歓喜より安堵に近かった。
「最悪の結果を考えずに済む」という解放感と同時に、これまで自分がどれだけ揺れ続けたかを思い返し、「結局自分には一貫性も強さもなかった」と痛感したのだ。
6. スポーツ観戦がもたらすもの
翌週のシーズン最終戦はアウェイ金沢まで遠征して観戦した。
試合は今シーズンを象徴するかのようにラストワンプレーで決勝ゴールを許して敗北した。
終わり良ければ全て良しとはならず、心身共に疲れ果てて帰路に着いた。
しかし、一晩経ち落ち着いてみると、「揺れる自分もまた自分」であることを認められるようになった。
趣味にここまで心を振り回され過ぎたのは、大いに反省し改善すべき課題であるが、それは奈良クラブが「好きだから」という思いに他ならない。
そして、今年の苦しい経験は、今後の自分の立ち位置に確実に影響を与えるだろうし、また今年と同じような状況になったときには、私は違った受け止め方ができると信じている。
勝負の世界では、思い通りにならないからこそ、日常では得られない感情を揺さぶられる多くのドラマが作り出され、その時の感情の渦に自分も参加できるのがスポーツ観戦の最大の魅力だと思う。
その渦中で得られる様々な感情、それらは、今まで見えなかった、見ようとしなかった自分の一面を発見させてくれるし、新たな可能性も示してくれるのだ。
そんなスポーツ観戦、奈良クラブの応援を私は今後も続けていくだろう。