【旅行記録】中国・長沙(韶山):毛沢東の故郷を訪ねる
6月半ば、中国湖南省の長沙を訪れた。
長沙といえば、かの有名な臭豆腐の故郷である。街を歩けば、至る所から独特の臭いが漂ってくる。真っ黒な見た目と相まって外国人にはなかなかとっつきにくいが、口に含めば不思議なほどの美味に変貌する。
しかし、私は臭豆腐を食べて満足して帰るわけにはいかない。この旅の主目的は別にある。そう、ここ長沙はそれ以上に有名な毛沢東の故郷なのだ。
長沙市内の橘子洲に存在する巨大な石像。音楽家かと思いきや若かりし頃の毛沢東。
彼の故郷は市内から少し離れた郊外、韶山にある。まずは鉄道で韶山駅へ。
改札を出て、韶山風景区行のバスに乗車。発車して間もなく、乗車賃の徴収とともにあるものが売られ始める。
毛沢東バッジ。即時購入を決めたが、付けていく場所も予定もない。
そうこうしているうちに、バスは公園に到着した。立派な観光案内所兼券売所で入園券を購入し、いざ入園。
写真を撮っていなかったのが悔やまれるが、この公園、施設がやたらと大きくて立派だし、従業員の接客も良い。政府が力を入れていることが窺える。
客層は年配の団体客から若いカップルまでと多様だ。事前に団体客が多いのかなと勝手に思い描いていた分、意外だった。
園内は観光バスで移動する。南方の緑豊かな風景が広がり、なんとものどかな印象を受ける。
最初に向かったのは「毛沢東記念園」。園内には毛沢東の兄弟の墓や、彼の像が陳列された記念館等が点在している。
次に、目玉である「毛沢東同志故居」に向かう。入り口には大型の観光バスがひっきりなしに出入りし、子供たちやお年寄りの団体客を吐き出していく。
ここは園内でも際立って綺麗に整備されていた。水田と邸宅を一緒に写真に収めれば、理想的な田園風景の出来上がりだ。
1878年、毛沢東はこの地で誕生した。混乱の中で破壊に遭いつつも、修復ののち1951年には対外開放を開始。その後も何度か修復を重ねて現在の姿に至っている。
典型的な南方の農民住宅の様式をとる邸宅は面積が472.92平方キロメートル、凹の字型のつくりをしていて、隣家と共用部を通じて繋がっている。内部には家人の居室、厨房、農作業用の部屋等が配置されていた。
傍らには毛沢東が幼い頃学んだという私塾の建物も残されている。
最後に、「滴水洞」を見学した。1960年に創建された別荘で、少し奥まった林の中に位置しており、静かで過ごしやすい。1966年には毛沢東がここで11日間を過ごした。
最も有名な一号楼には執務室や会議室、防空壕も設けられており、ここで政務を執れるようになっている。中国共産党の指導者たちや外国の要人たちも度々ここを訪れているそうだ。
さて、毛沢東の故郷は豊かな農村という印象だった。政治的な印象からどことなく身構えていた自分としては拍子抜けするほど穏やかな旅となった。
現在、風景区は国家AAAAA級景区及び愛国主義教育基地として手厚い保護を受けている。中国人観光客がここでの「紅色旅游」を和やかに楽しんでいる様子は興味深かった。
全体の行程を通して、自分たち以外の外国人観光客には遭遇しなかった。もちろんコロナの影響が大きいのだろうが、そもそも外国人にとってはあまり目が向かない観光地だろう。私も中国で生活していなかったとしたら行こうとは思わなかったかもしれない。
いずれにせよ、今回の旅はなかなか得難い経験となった。