3.11
毎年3月11日になると考える。18かそこらの俺はTVでその光景を見て、とても凄まじく酷いことが起こっていることは分かったけれど、それ以上先の感情はなかった。自分の中で音楽へのウェイトが重くなっていくにつれて、この日を迎える度に自分自身この日について何も歌えないなと思ってて。経験もしてないし、映像以外で光景を見たことはない俺には歌えることはないなって思ってた。歳を重ねて、他の人生が少しずつ自分に入ってくること、その度に感じることが増え、今年もこの日を迎えた時に、ふと答えが見えた気がした。3.11に産まれた人達、毎年自分が産まれた日にニュースを見て、なんとも言えない気持ちになる人達に俺は歌える。それだけじゃない、今この瞬間を生きる人達に歌える。そう思えば、3.11以外だって俺は歌ってるじゃないか。常に歌える。今年の3.11を迎えることが出来なかった命にも歌える。その悲劇の渦に巻き込まれた人達に特化して歌うことはないが、いつだって、どんな時代にも昨日にも明日にもこの瞬間も部屋から外に出れば悲劇は溢れてんだ。胸を張って歌うよ俺は。その権利が自分にある限り。自分からは手放さない。偉そうに、誰かの為じゃなく、その先にある自分に向かって。
C-NOTE Kanda