想像機関車、国語から算数の駅へ。
いよいよ思い出に火が付いてきた。いままでトンネルに隠して明文化してこなかった感覚を、もれなく書き残しておきたい区間に突入。自閉症だからというわけではないが、暗記だけで成立する勉強が嫌いだった。普通の小学校へ入ることを夢見ていたのに、教室は退屈そのものだった。鈍行という名の普通列車と連結されそうになる度、頭の中で走らせていた想像機関車がある。
普通の小学校=鈍行なのか?
3歳のときに医者に下された診断、いわば線路の分岐器の強行シフトによって別のレールへ向かうところだったが、なんとかイメージ通りの方向へ再シフト。無事に普通の学校へ通えるようになった少年川田。調布へ引っ越すまでの短い間、埼玉県和光市立第四小学校へ通った。『課外授業 ようこそ先輩』という番組に僕が出演したときにも訪れた小学校、教室の窓から見える風景のなかに蒸気機関車があった。それは廃車になったものを有志の導きによって学校が無償で譲り受けたもので、校庭の隅にそのまま置いてあった。生徒たちは休憩時間にそれを奪い合って遊んでいたのだが、順番を守らない連中が嫌いで近寄らなかった。教室の窓から汽車を眺めて、その日の時間割を眺めながら、またすぐに教室へ戻って来られる距離の想像に耽っていた。
国語
算数
理科
社会
ある日の時間割はこんな感じ。駅を経由してゆくみたいに、国語の頭で算数の駅を目指す。算数の駅には、時間割特例で国語の考え方を持ち込むことが出来る。こういう遊びを頭の中でよくしていた。そうでもしないと、退屈で学校をすぐにでも辞めたくなりそうだった。たとえば算数の教科書を開くと、こんな問題が出てくる。
問題:63 ㎝ のひもを同じ長さずつ 9 本に切ります。I 本の長さは何㎝ になりますか?
答えは7cm。九九なんて丸覚えにすぎない。算数の問題に算数で答えるだけでは、想像機関車の乗客としてはマナー違反。国語の頭で問題を再考する。7cmの紐が9本ある。そこからどんな物語が生まれるか。国語の頭で正解を考える。
まず7cmといえばどんなものがあるか。記憶のキャビネットから取り出してみる。
・ペットボトルの直径(横幅)が6.5cm
・缶の直径(横幅)が6.6cm
ペットボトルと缶。共通点は飲み物。飲み物に関する話が生まれるかもしれない。紐をメジャーに仕立てる。コンビニとかで荷物を送るときに店員さんがつかう特殊な物差しみたいな感じで。7cmの紐が機能する世界の話を考える。
飲み物監査局は、腰に7cmを紐をぶら下げて今日も査察にやってきた。紐をあてがって、これでよし。これはちょっと長い。どうしてこんな長さになったんだ?店長が問い詰められる。「真綿で首を締めるような」という国語表現があるが、国語の影響を受けた算数の世界では「7cmの紐で首を絞められるような」という慣用句が成立する。単なる算数表現としては数値が合わないから不正解だが、国語世界を帯びた算数表現としてはきっと正解。よりギューギューに首を絞めているのが分かるから。
*日本人の男性の平均的な首回りは35.8cm
*要するに7cmの紐の長さでは首を絞めることは不可能
ちなみに、なぜ物の大きさを把握していたかというと、定規とメジャーを買い与えてもらったときに愉しくて色んなものを測りまくっていたから。そういう子供だったから。心配もされたから。普通の学校行けるかどうか、危ないところだったから。
・タバコ(ショートホープ)の長さが7cm
たとえば、弟子入りしたての落語家の話はどうか。
師匠はまだ扇子を与えてくれない。お前みたいなもんはまずはこれで稽古しろ。と、ただの紐を手渡される。このふにゃふにゃの7cmの紐を使ってどうタバコを表現するか。弟子の応用力が試される。
・・・みたいな話をあと7つ考えれば、算数の問題によって生まれた9本の紐をすべて有効利用できたことになる。
こうした国語の頭で算数の問題が解ける愉しみをみんなにも知って欲しくて、担任の教師に『時間割を越えて考える時間の必要性』『そのためにあの汽車をシンボル的に有効利用するべき』だと、当時持てる限りの語彙を尽くして何度か提案したけどダメだった。界隈の小学生で、一番最初にトラネキサム酸という言葉を覚えたのは僕だった。いまならSDGsという言葉もきっと駆使していただろう。想像の産物とはいえ、紐を余らせてしまってはサスティナブルではない。当時の僕は、算数の次の理科の授業で残りのうち5本をアルコールランプの軸に使い、社会の時間で残り2本を産業革命の説明に使った。
ちなみに、小学校の社会は日本史中心で、世界史範囲の産業革命についてまだ学ばない。母方の祖父から贈られた文学全集のなかで石原純という人が産業革命に触れていたので、ひと足先に知っていた。1830年代にイギリスはとっくに産業革命を終えていたが、日本にその影響が及ぶのは1868年の明治維新以降だった。算数の時間で手に入れた紐の材質は綿を想定していたので、理科の時間のアルコールランプにも応用できた。時間割の時間が深くなるほど、頭の中に抱えた貨物を使い切る応用力が試された。ピタッとハマるあの感覚、非常に気持ちが良い(他の生徒からしたら一人でニヤニヤしていたので非常に気持ちが悪い)ひとり遊びだった。
校長室まで直談判、PTA会長の言葉。
担任が駄目なら校長先生を説得しようと思って何度か校長室を訪れたが、結果的にNG。「十夢くんの言うことはわかるけど、わからない。教育要綱というのが決められていて、校長先生でも勝手なことはできない」と、情けない声で白状した。なんてことだ。校長先生は王様ではなかった。なぜ朝礼であんなに偉そうなんだ。広くない校舎で自分だけの部屋を与えられているんだ。最後に提案した日、肩を落として帰宅していると知らないおじさんが駆け寄ってきた。
「十夢くんが言っていることは、いまの社会ではまったく理解されない。でもね、もしかしたら未来では大切な考え方になるかも知れない。そのアイデア忘れないでね。汽車の新しい使い道を考えてくれて、ありがとう」
なぜ最後、お礼を言われたのか。僕のアイデア、想像機関車の存在を知っていたのか。あとで母親に聞いてみると、そのおじさんはPTAの偉い人で、和光市を代表する製造会社の社長。あの廃車になった汽車を学校へ招致しよう。計画を進めたグループのひとりだったらしい。昔から、会社名の刺繍が入った作業着の人とは話がよく合う。でも、なぜ僕が校長先生に直談判している内容がバレていたのか。いまだによく分からない。変な生徒がいると、学校内でもPTAを巻き込んだ問題になっていたのかも知れない。まあ、結果オーライ。大人という大人が全員否定するような悪いアイデアではなかったということだし、大人の中にだって話が通じる人がいる。少しだけ救われた気持ちになった。
時間割を越えることを前提とした教育要綱
いまの僕の仕事は、まさにこの感覚の延長線上にある。たとえば開発者の頭で芸術祭に参加する。プラネタリウムで音楽を拡張する。リニューアルしたての百貨店や博物館を通りすがっては、ここで問題です。その場所にはどんな問題が隠れてて、とりまく登場人物はどんな人がいて、どのような答えを出してどんな回答を出せば関わる全ての人が喜んでくれるのか。駅ではない場所に、どうしたら人が集まるのか。時間割を越えるみたいに、頭を柔らかくして考えなければ解けないような問題が、実社会にはたくさんある。この想像機関車のアプローチは、職種に関わらずあらゆる現場で生きてくる応用力に接続するはず。プログラミング教育や人工知能の技術が進んでも、領域を越えた考え方をコンピュータが人類に示してくれる日はまだ遠いのだ。
涙はやがて想像機関車の動力に
埼玉県和光市立第四小学校で、泣いたことが2度ある。ひとつは小学2年生のとき、担任の先生が教室で僕の引越しを発表した日。引っ越し当日までみんなには言わないでと先生と約束しており、それを守ってくれた形だったのだが。それを初めて聞いた生徒たちは、男女問わず嗚咽するほど泣いてくれた。あんまりクラスに馴染めていないと思っていた。休憩時間の汽車の順番も守れない、簡単な授業についてゆくのがやっと。どうせ理解されないと、想像機関車の話もしたことがなかった。ちょっと馬鹿にしていた。意外な反応だった。なんだか申し訳ない気持ちになって、自分の声が分からなくなるくらい泣いた。
もうひとつは大人になってから、『課外授業』の最後の収録日のこと。2015年3月。想像機関車を走らせていた日々を回想して、生徒(番組的にいうと後輩)たちにこんな課題を出した。
問題:「学校の中、どんな場所でもいい。想像の余白を自分で探して、再構築して、それを(AR三兄弟が独自開発したアプリケーションをつかって)可視化して欲しい」
この問題に生徒たちは、個性的な答えを生徒の数だけ出してくれた。当時の僕に似たタイプの生徒も中にはいて、課題をやるまえは消極的だったのに、最終的には想像力の権化みたいにスケールアップしていた。そうだ。そうやって、新しい駅を自分で開拓してゆけばいいんだ。いまは子供だから、親や大人もいちどは話を聞いてくれる。でも、いつかそのレールは呆気なく突然外される。それまでに、自分自身の想像機関車を心に持っておいて欲しい。そんなことを断片的に生徒たちに最後伝えているうちに、なんだか泣けてきたのだった。
令和になったというのに、時間割を越えた思考ができる先進的な子供たちに教師がのびのびと点数を与えられるような、新しいルールが教育要綱にまだ組み込まれていない。閉塞感を感じる。思い出したように提案を続けたい。まずは、来年春くらいから実装できるように計画している。みんなで乗れるような想像機関車が開通したら、また改めてお知らせする。