彼氏いない歴=年齢・26歳喪女の男友達
11月11日土曜日に大学時代のサークルの後輩Nと会ってからというものの、明らかにメンタルの調子がおかしい。
何か悲しい出来事があったわけでもないのに、毎日無性に涙が止まらない。
社会人になるまで、私は対人コミュニケーションを遮断して生きてきた。
中学生の頃、「一緒にお弁当を食べよう」と声を掛けてきたクラスメイトに、「お昼ご飯はラノベを読みながら食べるって決めているから」と、突き放した程度には遮断して生きてきた。
中高一貫の女子校に6年通い、休日に友人とお出かけをした経験は誇張抜きで片手で数えるほどしかない。
そして、26歳になった今でも連絡を取る高校以前の友人は、小学校からの付き合いの友人Yと中高時代の友人Eの2名しかいない。
今もその優先順位はさして変わってはいないが、自分の人生において何よりも優先したいのが趣味であった。
とんでもねえ多趣味サブカルオタクに育った私には、時間はいくらあっても足りるものではなかった。
人間と会話する暇があったら趣味に時間を費やしたいと心から思っていたし、社会人になってかなり改善はされたものの今もその考えは根本的からは変えることができていない。
東京の大学に通うようになって、仲がいいと呼べる存在の他者が二人できた。
一人は、サークルの同期のA。
私が故郷の広島にUターンしてからも定期的に会っており、今回会うのは3回目。
今回土曜日の夜に彼女の家に泊まり、日曜日に二人でピューロランドに行った。
大学時代に出会った人の中で、一番仲良くなった人間である。
そしてもう一人が、サークルの後輩N。
女子校出身の私にとって、唯一男友達と呼べる存在である。
「不健康運動ちゃんとめっちゃ似てる後輩が、サークルに入ってきたよ」と、大学2年時にサークルの同期たちに紹介されたのが、中高男子校出身のNだった。
実際趣味や価値観などがかなり似ているなと感じた。
しかし、私がコミュニケーションを遮断していたのと、Nの方も(コミュ力底辺だった私よりは断然コミュニケーション能力があるが)社交的な性格かといえばそうではなかったので、「お互い他のサークルメンバーと比較した場合、なんとなくシンパシーを感じている」以上の関係にはならなかった。
初対面の時点で、Nが兼サー先の女子に好意を抱いているという情報が入っていたことも影響してか、Nに対しての恋愛感情は生まれなかったし、Nも私に恋愛感情を向けたことは終ぞないに違いない。
そんなNと初めて二人きりで会ったのは、私が卒論を提出し、東京の家を退去する数日前だった。
唯一「最後に会いませんか?」と私に声を掛けてきてくれたのがNだった。
「最後くらい受け身にならずに、自分から声を掛けなさい!!!」と過去の自分を叱咤したくなるのだが、当時はコミュニケーションを遮断していたので、まあこんなもんである。
(ちなみに先述の同期Aは、多分就職してからもなんだかんだで会うだろうという確信もあったので、「東京を離れるから」と特別何かをした記憶はない。)
その日は丸亀製麵でうどんを食べ、フリータイムで午後7時くらいまで二人でカラオケをして帰った。
いざ二人きりになると、会話を持たせるコミュニケーション能力が私にはなく、正直丸亀では無言の時間が多かったと記憶している。
一方やはり趣味は合うので、カラオケは結構盛り上がったと記憶している。
もう4年近く前の出来事になるが、東京事変の『シーズンサヨナラ』をNが歌った後、間髪入れずに『FAIR』のイントロのギターが始まるところを一緒に口で真似してゲラゲラ笑った記憶がいまだに鮮明に残っている。
私は「共学に入ったからといって、自然と恋人ができるわけではないんだな」と、今考えれば至極当たり前のことを思いながら大学を卒業し、地元にUターンした。
他人の恋愛について根本的にあまり興味が湧かないため詳細は不明だが、Nも片思いは実らなかったようである。
少なくとも私とカラオケに行った時点で、同じく男女交際の経験がないのは事実であった。
それから私は4回ほど出張やライブ遠征で東京に行く機会があったが、Nとはなかなか予定が合わなかった。
何度かLINEやインスタのDMで音楽の話をしたことはあるものの、お互いマメな性格では全くないため、そんなに頻繁に連絡は取っていなかった。
そして、やっと先日。
リア垢で投稿した私の「出張で東京に行くので、誰か会いましょう!」というツイート(ポスト?)にNがいいねし、私の方からLINEをして、約4年ぶりにご対面を果たすこととなった。
12時に新宿の東口で待ち合わせ。
東口での待ち合わせだけれども、フレンズの『Love,ya!』を聴きながらNの到着を待つ。
久々に会ったNは、髪にパーマをあてている点以外は、ほとんど学生時代と見た目に変わりはなかった。
ライスの関町さんにそっくり(NのLINEアイコンは、ミラクルビュッフェのサムネイルの関ちゃんだ)で、相変わらずチャーミングでとってもかわいい。
高島屋のデパ地下で、Nが週明け取引先に持っていく菓子折りを買い、二人でピザを食べて、午後7時までフリータイムで5時間強カラオケで歌い、そのまま新宿でサシ飲みをして、午後10時に解散した。
久々に会ったからとはいえ、サシで10時間一緒にいたので、なんだかんだやはり仲はいいのだと思う。
カラオケでは、「山下七海がインスタのストーリーにアップした朝食のフレンチトーストが、どう見ても二人分」という話題で大盛り上がりしたり、「fhanaって今、kevin、佐藤純一、towanaの3人体制なんですか?あ、僕fhanaのことkevinから呼ぶタイプのオタクなんです」などと私を大爆笑させてくれたり、5時間が秒で過ぎていった。
それでも私は逆L字の奥のソファー、Nはソファーの縦部分に座り、お互いの領域を侵すことは一切なかった。
Nとのカラオケをきっかけに、キタニタツヤの『Rapprot』やTOMOOの『オセロ』など、既知のアーティストの手が回っていなかった楽曲に出会った。
「Wurtsの『リトルダンサー』、ラジオきっかけで私も最近めっちゃ聴いているんだ!」と、選曲にシンパシーを感じた。
オリラブの『夜をぶっとばせ』や、岡村ちゃんの『だいすき』を歌うNは、楽曲そのものの魅力もだいぶ相まって、正直かなりかっこ良く見えた。
飲み屋では、お互いに「鶏ステーキが食べたい!」と気が合い、「食の好みも合うんだね」と思わず笑い合った。
お酒は二人とも2杯ずつ飲んだ。
お互い下戸ではないが、後先考えずバカスカ飲みまくるタイプでもなく、飲酒ペースも一緒のようだった。
締めでNは、「このタイミングでなんですが、フライドポテトを頼んでもいいですか?」と尋ねてきた。
私は、「フライドポテト大好きなのよ!この間会社の飲み会で、ポテトをバクバク食べ過ぎて、周りにドン引きされたの」と返事をした。
フライドポテトが届くと、私は「やっぱり私フライドポテト好きだわ〜〜♡」と恍惚の表情でその好物を口に入れた。
そんな私を見て、Nは優しく微笑んでくれた。
ピザランチとサシ飲みでは、主に仕事の話と周囲の結婚や恋愛の話をした。
私は社会人経験をきっかけに、22歳にしてやっとコミュニケーションの重要性を身をもって知り、コミュ力が地の果てから地下2階程度には向上した。
それはNも同じのようだった。
(Nの名誉のために補足しておくと、スタート地点はだいぶ私より上の階にいる。)
もちろん無言の時間も一定時間あったものの、個人的にはマイペースで話を進められて、落ち着くことができた。
現在アニメ関連の仕事をしているNの話を聴くのは楽しかった。
その一方で、「私はサブカル全般網羅的に詳しい自信があるが、そんな自信があったところで今の仕事には全く役に立たないんだよな」という悩みを抱えている私にとって、少々酷な部分があったのは事実だった。
Nに迷惑をかけたくなかったので、そのあたりの気持ちはあまり表に出さないようにした。
私たちは「人に恋人の有無を直接聞くのは、相手にプライベートに立ち入る失礼な行為である」という認識を多分お互いに持っていて、直接そういった恋愛事情を尋ねることはなかった。
一方で互いの会話内容から、20代半ばにして二人とも「恋人いない歴=年齢」が続いていることを悟った。
Nは同棲を始めた中高時代の友人の苦労話を引き合いに出し、「ここまでして恋人と同棲しようとは絶対に思えない」と話した。
私は、「今度中高時代の友人Eが結婚式を挙げる。友達がいないので、これが私にとって、最初で最後の結婚式になるかもしれない」とランチ中に話し、「最近20代後半で恋愛経験のない女がヒロインの漫画ばかり好んで読んでいる(『瓜を破る』『あそこではたらくムスブさん』『百木田家の古書暮らし』など)ことに気付き、自殺したくなった」と飲み会中に愚痴った。
私もNも、アセクシャル・アロマンティックであるというわけではない。
ただマッチングアプリを始めるなど、頑張って恋人を作ってイコール年齢から脱却しようとする努力は多分全くしていない。
どうやらNは、恋愛にかかるコミュニケーションコストをかなり負担に感じるようで、そこに労力をかけるくらいなら恋人はいなくてもいいという選択をしていると推測している。
一方私は、好きな人ができないと恋愛への関心が本当に皆無になるタイプである。
大学時代に1回、社会人時代に1回、計2回人を本気で好きになったが、コミュニケーションを遮断して生きてきたので、当然アタックはうまくいかなった。
友人からは、「今度本気で好きな人ができた時のために、マッチングアプリで練習をした方がいい」という至極全うなアドバイスを受けた。
しかし、知らない人とわざわざプライベートで自発的に会わなければいけないのが本当に嫌で、次いつ来るか分からない時のために趣味の時間を削るのがさらにもっと嫌だったので、結局アドバイスを実行には移していない。
そのくせ私たち二人は共通して、「恋人がいたことがない、他人が当たり前のように行ってきた経験ができない」という点に、かなりのコンプレックスを抱いていた。
この世の中は、いい歳をして交際経験のない人間にかなり手厳しい。
「26歳にして恋人がいたことがない」と正直に伝えると、時にドン引きされ、時に性格の難を疑われ、「ヤバいね」としょっちゅう言われ、変な人という扱いを受ける。
「気にするな」と言われても、私のメンタルは弱くて、一人になるとすぐに涙が止まらなくなってしまう。
Nは、「大学2年生の時に、ちょっとだけ付き合った彼女がいた」と、嘘をつくことも度々あったそうである。
Nに恋人がいないと悟った時、私はショックと安堵で情緒がぐちゃぐちゃになった。
もし仮に、「遂に僕にも彼女ができました!」と報告を受けたら、本当に心から祝福していたであろう。
それと同時に、自分だけ置いていかれた気持ちにもなっていたであろう。
この感情は両立すると信じている。
そもそも、ちょっとお茶をする程度ならまだしも、いくら久々に会うとはいえ、さすがにパートナーがいる異性愛者の人間が、異性と10時間二人きりでいる予定を組むとは考えにくい。
この予定が決まった時点で、多少Nの現状を察した部分はあった。
Nは本当にいい子だ。魅力的な男性だ。
地元にUターンにして東京の地理や店が全く分からなくなった私のために、ランチの店、カラオケ店、飲み屋を全てセッティングしてくれた。
電話でドリンクを頼むカラオケ屋で、私の飲み物を全部頼んでくれた。居酒屋でもそうだ。
サシ飲み後、荷物を新宿のどのコインロッカーに預けたか分からなくなった時、ロッカーが見付かるまで根気強く一緒に探してくれた。
とても気遣いができて、気を遣い過ぎていて、やさしくて、やさし過ぎる男性だ。
ピザ屋のiPadで、人数を男女別で入力する際、茶化すでもなく私に「性自認は女性ですか?」と丁寧に聞いてくる子だ。
だから絶対に、Nは手をつなぐといった軽度な身体接触でも、丁寧に相手の許可を取るであろう。
その丁寧さが、たとえ恋愛において相手との関係を進めるのに大きな障害になったとしても、Nは強引さを絶対に出さないであろう。
そんなNのことが私は人として大好きで、尊敬しているから、どうか、いつかNの魅力に気付く女性が現れてほしいと、身勝手ながら願ってしまう。
多少のコミュニケーションコストを負ってでも一緒になりたいとNが思えるような、ちょっと強引になってでも関係を進めたいとNが思えるような女性に出会ってほしいと願ってしまう。
「恋人ができる=絶対の幸せ」とは、私もNも全く思っていない。
それでも私は、そう願わずにはいられない。
「彼女ができたんで、もう二人では遊べないんです」という喜ばしい報告を聞きたい。
友達があなたを含めて4人しかいない私とは違って、たくさんの友達に恵まれていて、最近は中高時代の友人とタイに旅行に行ったりもしている。
だから、好きになった女性ともうまくやっていけると思うよ。
土曜日に大学時代のサークルの後輩Nと会ってからというものの、明らかにメンタルの調子がおかしい。
何か悲しい出来事があったわけでもないのに、毎日無性に涙が止まらない。
でもそれはNのことを思って泣いているのではなく、結局は自分と同じ境遇や恋愛観の人間に久々に出会って(周りは付き合うどころか結婚のフェーズにいるので)、これまでなんとか押し留めてきた恋人がいないコンプレックスが一時的に増幅したから。
これが、水曜日まで4日間かけて出した私の結論である。
私は薄情な人間なので、他人のことを思ってメンタルを崩せるような女ではない。
「私が東京で就職していたら、Nとどうにかなる未来もあったのだろうか」と微塵も思ったことがないかと言われると、ちょっと正直それは嘘になる。
しかし、私はこれからも広島で働き続けるし、転職の意思はない。
仮に私が東京で働いていたとしても、会おうと思えばいつでも会えるため、連絡をマメに取るタイプではない私たちが、互いのために1日10時間を費やすことはなかったと思う。
4年ぶりに会って、Nと一緒にいることの居心地の良さ、あまりにも一緒な価値観を痛感してしまって。
でも、そんなNとは物理的な距離があって、気軽に会えないことも、私が転職しない限りは一緒にいられる時間が限られることも併せて痛感して、涙が止まらなくなっているのかもしれない。
それでも私はNに会うためだけに、東京に行くことはない。
この年内に会うことは絶対にないし、来年Nに会える保証も、そもそも私が東京に行く用事があるかどうかも分からない。
(何しかしらのライブ遠征で1回くらい行きそうではあるけれども。)
ネットの海に6,000字以上も吐き出したことで精神が安定することを祈りつつ、私は初めて文章の校正を全くせず、noteを更新したよツイート(ポスト?)をすることもなく、このとりとめもない文章をここに公開する。