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やじろべえ日記 No.14 「無意識」
その日も浅井さんは先に来ていた。昨日と言い,来る時間が妙に早い。
今日は浅井さんとの約束の都合で浅井さんのホーム…他の表現の仕方がわからないので便宜的にこう言っているが浅井さんのホームの公園へ来ていた。
「こんにちは。早いですね。」
「用事が早く終わったからね。準備できたら声かけて?」
「はい。」
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私は野良でキーボードを弾いている人間だ。毎度説明しなくていい?確かに毎日読んでくれている人にとっては不要な説明だが今日から読む人にとっては必要な情報である。
私は人と強固な関係性を築くのが大の苦手である。とある特性のためだ。私は『演奏が日ごとに変わってしまう』というなんだかわからない特性を抱えている。そのため,せっかくグループやユニットを組んでもセッションが続かない。毎日変わってしまう演奏についていけないと別れの宣言を出されてしまうのだ。
ただ昨日浅井さんと話しているうちに,私が関係性を続けられないのは『日ごとに演奏が変わってしまう』以外に理由があったのではないかという疑問に到達した。そこでその検証が必要という話になったのだ。
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「準備できました。」
「わかった。じゃあやってみようか。」
「はい。」
昨日やった曲だ。私のリクエストで浅井さんのアカペラから入る。昨日と同じように入っていく。ピアノと絡まって徐々に盛り上がる。盛り上がりを見せたところで,一度テンションを下げる。そしてまた盛り上げて,サビで浅井さんが最高潮になる。
最高潮になるにしたがってこちらも徐々に盛り上がっていくのだが,浅井さんの盛り上がり方が少し強めに感じた。気のせいと思ってサビの次の間奏に入ろうとした直前,浅井さんの声がかすれた。
その瞬間,私は間奏の最初のフレーズを1オクターブ上げた。上げたのは最初だけで,それ以外は今まで通りの演奏だったが,少しだけテンポを遅くした。その間に調子を取り戻してもらう。
間奏がもうすぐ終わる。目くばせをすると浅井さんはもう大丈夫のようだ。そのまま2番へ入る。
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「すみません…結局,変えてしまいました。」
「いや,あれは僕も悪かったよ。むしろあのアクシデントにうまく対応したのはすごいや。」
「…はい。でも,結局検証はできずじまいでした。」
「『演奏が日ごとに変わる』以外にグループやユニットが続かない理由だっけ?…僕の見解を話していい?」
浅井さんの見解…他人からこの問題を指摘してもらえるのは初めてだ。緊張する。
「…どうぞ。」
「まず,今日の冒頭の入り,演奏が変わってたの気づいた?」
「…気づいてませんでした。何か変わってましたか?」
「すこし僕がピッチ低かった。それで僕慌ててたんだけど,君ピッチの設定少し下げてたよね?すごいやと思った。」
「…準備の段階であなたの歌を聴いてたので,自然とそうなったんだと思います。」
「あと中盤のところ,テンポが中だるみしがちなんだけど君は淡々とテンポ通りに弾いてきた。僕はむしろありがたく乗っかったけど,乗っからない人からすると気に障る人がいるかもね。」
「確かにそうですね。ただあそこは淡々としておかないとサビが盛り上がらないので,たいていの場合これでも大丈夫と思ってそうしてました。でもそれは昨日も変わりませんよね?」
「いいや変わってた。テンポが少し早くなっていたんだ。」
「…!」
「気づいてなかったか。ただ早くした方がいい理由も僕にあった。」
「…どういうことですか?」
「序盤,僕が情感を込めようとしすぎてテンポがかなり遅くなってしまった。君が入ってくる直後でいきなり取り戻すと曲が破綻するからあそこでテンポを巻いてサビを聴かせるのは正しい判断だった。」
「…そうなんですね。」
「表情を見る限り,君はこれを無意識でやっていた…ということになるね。」
「無意識…」
「そして極めつけはあのサビ直後のトラブルからの間奏。味方のフォローとしては申し分ない。」
「そこはさすがに意図してやりました。」
「逆に言えばそこ以外は全くの無意識でやっていたということだよ。全く恐ろしいことだ。…それで本題だけど。」
なぜほかの人とセッションをしても続かないのか,ということだ。どこを直せばこれは改善する?
「僕が思うに,おそらく今までの『日ごとの演奏の変化』は相手に影響されたものがほとんどだったんじゃないかな。」
「…どういうことですか?」
「今日の演奏からもわかっただろうけど,君は相手の演奏を聴いていくつもの変更を無意識でやってのけている。そして,人の演奏というのはたいていの場合,どんなに意識的にコントロールしていても何かしら変わってしまう。」
「ふむふむ。」
「だから『相手は自分の変化に気づいていないのに,君は相手の変化に気づいて合わせてしまった。』という現象が起こっているんだと思う。」
「…えーと,それってつまりどういうことですか?」
「日ごとに演奏が変わっていたのは君だけじゃなかった,ということ。相手の演奏が変わっているから君もそれに合わせて変えている。でも自覚もなく無意識のうちに自分の演奏を変えてしまっているから『自分では変えていないつもり』という認識になる。ただ相手は君が変わってしまっていることがわかる。だから『君が変えているつもりがないのに相手には君だけが変わったように見えてしまってた』ってことだと思う。」
…もしそれが本当だとしたら。
「私が自分の変化にきちんと気づけるようにならないと解決しない…。そういうことですね。」
まあ。誰かに検証してもらうだけで解決方法が見つかるなら苦労しないよなあと。この検証に過重な期待をしてしまった自分を恥じた。
「ただ,僕は個人的に君はその姿勢を変える必要はないと思うけどね。」
「…どういうことです?」
「結局君の演奏変化は全部『相手の演奏を受けた』ことの結果なんだよ。それってうまくセッションできているってことじゃない?」
たしかに,相手に合わせることがうまくできているのは悪いことではないだろう。だから,
「無意識を顕在意識で把握できるようになる必要がある,そういうことですね。」
「ああ。そしてこればっかりは一緒に練習する相手が必要ということになるね。」
ただ,そうなると問題なのが私が野良のキーボード弾きという事実だ。あくまで野良なので常にだれかとセッションできる環境下にはいない。克服のためにはしばらく浅井さんに頼るしかないだろう。
「…あのう,これからも時間あるときでいいんでセッションしてもらってもいいですか?」
「僕はかまわないよ。ただ,僕以外でセッションの相手を探した方がいいかも。僕の見解だけだと不十分かもしれないから。」
ふむふむ。そうなると…不本意だがサークルにまた顔を出すかなあ…でも今更セッションする人なんて誰もいないし。
「あの子は?少し前に一緒にセッションやってた…というか一昨日会ったあの子!」
伏見さんか。確かに彼女もなんだかんだ協力してくれる気がする。明日か明後日当たり,また来てくれたらお願いしてみようかな。
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