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やじろべえ日記 No2.「挑発」
「今日は早いね。」
話しかけてきたのは昨日,「明日また,一緒にやってくれないか?」と言ってきたシンガーである。
「少し練習したかったので。」
そう私は返した。
きのう,あの後練習を入れていた。それくらいしないとセッションは続かないと思ったからだ。実際,セッションは同じようにやることができないものだ。その刹那性が魅力でもあるが,ある程度安定しないと演奏は破綻する。自分の場合は刹那性があだになっている。
そしてせっかくお誘いを受けたので早めに準備しようと思ってここに来たのだった。
「そちらも準備がありますよね?こちらも準備するのでゆっくり…」
「あーいいのいいの。声だしはさっきしてきたから。」
あちらも用意周到ということか。
「わかりました。私はいつでもいけます。」
「そう来てくれるとこちらもありがたいね。早速行こうか。」
そういうと,シンガーは昨日と同じ曲を突然アカペラで歌いだした。なるほど,お前が合わせに来いってことか。
そういうことならこちらも考えがある。この様子だとあと3小節くらいで流れを変えるだろう。ならこちらも転調と行こうではないか。
そしてコードを変えた結果向こうはにやりと笑った。笑みを返す余裕は残念ながらない。それでも演奏は最後まで続けた。
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演奏終了後,シンガーはにこやかに観客にお礼を言っていた。
「さっきの箇所,なんで変えたの?」
片付けも終わったのちシンガーの人が聴いてきた。
「…いきなり歌いだしたのでどんな流れをあなたが期待しているのか読めなかったんですよ。あと,その挑発的な態度に心底腹が立ったのでこちらも何か仕掛けたかったんです。」
そういうと,シンガーは大声で笑いだした。
「ははは,ずいぶん怒り心頭のようだね。もしかしてぼく嫌われちゃったかな?」
全く反省の見えない声色だったので自分も色味を見せずに答えた。
「いえ,全く怒ってないので安心してください。むしろ合わせに行く方が楽しいのでこちらとしては好都合でした。」
それを聴いたシンガーはふむと神妙な顔つきになった。嫌な予感がする。
「じゃあ…」
今度は何だろう。
「明日はもう少し僕に付き合ってもらおうか。」
どうせ暇な身分である。全く問題はない。
「明日はここでやろう。」
そういうとシンガーは一枚のメモを私に渡した。
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